最近、アンタッチャブルの柴田にはまっていて、Youtubeをよく見る。アンタッチャブルの時から好きだったけど、干されてからピンでの活動で一層磨きがかかった感じがする。動物に対する驚異的な知識がありながら、それをひけらかすような感じをさせずに見せ・伝える技。そして動物の進化に対して突っ込みをいれるという競合が存在しない場所とその価値の発見。そして思いっきり笑った後で、ちゃんとした知識もつくという点で、たんなる笑いだけでなく教養面も抑えているのがすごい。私もフロイトやユングをネタに逆でもやるといいんだろうかあ・・・
今日の独り言
目次
- 今日の独り言
- 今日のテーマ
- それぞれについての解説
- 再度ポイントのまとめ
- カウンセリングの現場では・・・
- 逆説的考察
- 映画で考える心理学
- エンディング
今日のテーマ
- ポジティブシンキングの弊害を知ることができます
- ポジティブシンキングに利用されず、利用する側になれます
それぞれについての解説
- ポジティブシンキングとは?
- 問題点
- 自己をだます行為
- 押しやられた本心はいつか復讐してくる
- ポジティブにとらえれば問題は勝手に解決するという甘えで、現実からの逃避行為
- 本心をケアするほうが大事
2000年になってからはしばらくこの言葉がはやりました。いまはそれが行き過ぎたせいなのか、それをやりすぎて被害にあった人がおおくなったからなのか、ネガティブシンキングを推奨する本も売ってるようです。ポジティブシンキングの基本的な柱は、私はぶれていないように感じます。実際に明るいことをイメージしているときの方が、人間が人間である所以のロジカルやクリエイティブな思考に適していますし、体の凝りもとれ、疲れににくいからだをつくったりもするからです。「ポジティブシンキング」という言葉自体はあまり使いませんが、そこでうたわれていることは、カウンセリングの現場ではもちろんのこと、その他の仕事の際にでも多用しています。では何が問題となったのでしょうか?
「よーし!じゃあポジティブシンキングでちょっと考えてみるかあ、役立つかあっているかは別にして・・・」
ぐらいの軽い気持ちならばよいのですが、
「私がダメだったのはポジティブで考えていないからだった!これからはポジティブに考えなくてはならない」
「こうだからだめなのよ私。いつでもポジティブでないとだめ!」
というように、ポジティブ教というか、信者というか、それがアイデンティティ(自己信条)になって、自分を強要している人を時々見受けます。
これは、現状の自分をダメだと思って否定をし、本心がやりたくもないポジティブな対応を強要しているのです。
もっと大変な人は、この現状拒否も意識化できず、盲目にポジティブシンキングを追い求めます。
前者はダメな自分を拒否している自分が見えているのですが、後者はそれさえ見えず、自分をおしこめている状態です。
このおしこめたものというのがやっかいなもので、心理学では抑圧と言われます。
この抑圧したものは、勝手に消滅してくれません。いつまでも残っています。
唯一消滅する方法があるとすれば、それは意識の元にさらけ出して、とことんその感情をかまってやることだけです。
この押し込んだネガティブな自分が存在するがゆえに、いくらポジティブシンキングに取り組んだとしても、自身のなさや、暗い気持ちはいつまでものこり、真のポジティブシンカーにはなれません。また、その抑圧は、他人がネガティブシンキングをしているとそれに反応する働きがあります。あなたのイライラを誘発したり、理由もなく怒りを爆発させたりします。自分がそうすることを許していないので苦しいのにもかかわらず、相手がしていることが許せないのです。怒りはそれぐらいあなたが我慢している証拠ともいえます。また、外化といって、相手がそういう気持ちなのではと勝手に自分の境遇を重ねたりもします。ポジティブなことを言っている人を見て、「ああ本当は苦しいのにああしてふるまっているのだな」と感じたりします。本当に楽しくしゃべっているにもかかわらずです。
ポジティブ教の信者となってしまうのはなぜでしょうか?
それは
物事をポジティブにとらえれば問題は勝手に解決するという甘え
つまり冗談でもなんでもなく、一部宗教と同じで努力なしで救われたいという安易な考えによる盲信なのです。
いいかえると現実からの逃避行為です。逃げたいからポジティブシンキングをするのです。
問題と直面して解決しようという態度がある、ポジティブシンキングとは違うのです。
なんでもそうですが、無理やりで過剰なのが問題です。
ポジティブシンキングばかりになる。ポジティブにしか物事を考えない。
一気に問題を解決しようとする。(だいたい一気に解決するものは問題ではないのではないでしょうか?)
別れはつらいのが普通だし、しっぱりすれば落ち込むのは当然だし、ネガティブな感情が発生する出来事そのものを避けることはできません。
ですが、そういった感情の存在をしっかり受け止めつつ、ケアもしっかりしつつも、「もしこのことをポジティブに考えるとこうかもなあ。」
と、その出来事に光を当てて、物事を立体的にとらえることは生きていく知恵であり大切なことです。この感情の存在から逃げ、ケアもしたくない、
そんな気持ちはあなたにとって、今は楽でも将来的には危険です。
再度ポイントのまとめ
- ポジティブシンキングにも問題がある
- 本心をケアするほうが大切
過剰なポジティブシンキングは自分をだます行為
過剰なポジティブシンキングは自分に復讐してくる
過剰なポジティブシンキングは甘えであり逃げ
カウンセリングの現場では
文中にも書きましたが、ポジティブに考えることは重要です。ですが、あくまで立体的に考えるためであって、いやな現実からの逃避や、心の安全地帯に引きこもるためのシェルターとしてポジティブシンキングがあるわけではありません。しかも現場でこうった抽象的なキーワードには力がありませんので、ポジティブやポジティブシンキングは多用していると思いますが、この言葉そのものを使うことはあんまりないような気がします。それより具体性ですよね。
逆張りを考える
ネガティブシンキングも同じことが言えるんじゃないでしょうか?
例えば、うまくいっているとき、興奮しているとき、成功したとき、やった!と思ったとき、ゴールが見えた時。
人は調子に乗る生き物です。調子に乗っているときは自分の力を過大評価し、周りを過小評価します。
そのバイアスを取り、物事を相対的に見るという意味でのネガティブシンキングは有りです。
ですが、現状から逃げたい本心を隠すためにこの言葉を盲信するのは問題があります。
(もっともポジティブと異なり、本当にネガティブな人にそのままでもいいんだよといって、じつはポジティブを無理せず与えるという意味では非常に高尚だなあとも関心します。あくまで意図があればですが。)
映画で考える心理学
おつむてんてんクリニック
精神病患者が引き起こすドタバタコメディ。トピックにもかかわらず、とっても明るく仕上げているのが好き。
うつ病のボブが精神科医に通い続けているが一向に良くならない。ところが今度の先生のマービンは夏休みに入るため連絡が1カ月取れなくなるという。こまったボブはマービン先生の別荘にまで押しかけて、先生にどうしたらいいか尋ねる。あまりにもしつこいので、マービン先生は彼を遠ざけようとあれこれ試みるが、すべてうまくいかず、それどころかボブはそれぞれが彼のための治療であると勘違い、そして勘違いがゆえにどんどん正常さを取り戻していく。そんな彼を先生の家族はどんどん好きになっていき、気づいたらマービン先生はボブを追い出すためにあらゆることを試みる。それはすでに精神病患者だ。という流れ。ボブのポジティブさに笑えます。本心でポジティブならOK!
ボブは恐らく境界線障害で自分と相手の距離感がわからない人。本当のこういう人は困るのですが、あくまでコメディ映画ということで。
出だしの続き。。。
そういえば、むかーし、心理学のセミナーで、「俺、心理学語れるお笑い芸人目指してます」っていう人にあったけど、彼どうしてるのかなあ。
ていうことはこのアイデアもすでに斬新でないってことかあ。。。