日曜日。妻が「肉が食べたい」とのたまうので、食べログをさくっと検索して、ちかくのステーキ屋に行く。並んでいる人もいるし、これは期待できそうだ。外に置いてあるメニューを見ながら二人で期待が膨らむ。。。
目次
- イントロダクション
- 今日のテーマ
- それぞれについての解説
- 再度ポイントのまとめ
- カウンセリングの現場では・・・
- 逆説的考察
- 映画で考える心理学
- エンディング
今日のテーマ
- 交流分析を職場に当てはめてみる
- 相手のコミュニケーションの種類、自分の対応の種類を区別します
- 区別できると、ストレスが減り、トラブルも減ります。
お互いのCがわかると、コミュニケーションは円滑になるんだけど・・・
それぞれについての解説
- 交流分析とは
- 一般的な問題は相手がCP(批判的な親)で接してくる時
- 相手のストロークの種類を見極めつつ、Aで対応するように努める
会社というのものは基本的に双方がA(大人)という設定でコミュニケーションを取ることが基本になっています。
Aで上司(あるいは同僚・部下)が接してくれば、ほとんどの場合こちらもAで対応できると思います。むしろよくある問題というのは、上司(あるいは同僚・部下)がCP(批判的な親)でストロークを投げてくる場合です。この場合こちらが相手のCPに気づきつつも、A(大人)で返し続けることができれば問題は特にありません。そんなに興奮しなくてもいいのに、とか怒っているから虫の居所が悪いのだろう、など相手の感情に気付けますし、一線を隠すことができます。こちらも感情戦争に巻き込まれたりしません。なんせ大人ですから。笑。
問題は、体が勝手に(無意識のうちに)相手のCP(批判的な親)ストロークに対して、AC(従順な子供)やFC(自由な子供)でストロークを返してしまうことです。これは自分の実の親がした、押さえつけるような言動や表現、批判に対し、対応する気力が幼いころに奪われてしまい、従うことしかないというように無気力を学習してしまっている(結果CPにACで対応するようになる)、あるいは、逆に、その押さえつけるような言動に対して、ものすごい怒りを持っていて暴れることをしようするエネルギーを抑えることができない(結果CPにFCで対応するようになる)といった行動パターンがその原因と考えられます。また、このCP(批判的な親)を投げかけてくる上司(あるいは同僚・部下)は、「こうであるべき」という思いがものすごく強い場合が多いです。なぜ強いかというと実はその「こうであるべき」というルールによって押さえつけられているのは自分だからです。その押さえつけに対する怒りや反動を強く持っています。ですが発散する場面を失いフラストレーションがたまっています。たまたま部下・あるいは同僚に対してその「べき」を主張できる場面に出くわしたので、抑えていたエネルギーが呼び起され、発散されているのです。ACで接すると自分が無理に我慢しすぎてしまい、ストレスをためすぎかねませんし、場合によっては抑うつ状態になりかねません。仕事や責任がその人に集まりすぎるという状況が起こりやすく過労になりかねません。またFCで接すると、感情的なやつだというレッテルを張られ、人事評価も下がるし、仕事もしにくくなります。
CPに対してCPで対応するのもらちがあきません。A同志であれば問題解決に焦点が当たりやすいと思いますが、CP同志ですと、お互いの怒りがあり、相手を押さえつけたいとうフラストレーションのぶつかり合いとも言えますから、パワーバランスが異なれば、下の階層で従う方にはフラストレーションしか残りませんし、同じ階層同士でも、ロジカルで正論がある方が勝ったとしても、それは憂さを晴らしたいのがホントのモチベーションですし、やられた側はフラストレーションがたまります。A同志のコミュニケーション以外、本当はお互いの中にいる子供同士が言い合いをしているだけなのに、当人同士が気づいていないのが問題だといえます。
相手のストロークの型を知るとストレスがものすごく減ります。
「この人はネチネチ批判するけど、これはCP(批判的な親)が出現しているだけで、悪意はないんだろうな。お父さんかお母さんが厳しすぎる家にそだったんだろうなあ、課長」
と思えば、気が和らぐでしょうし、
「あ、この人はCPでストロークを投げてきてるけど、巻き込まれないぞ」
「CP(批判的な親)で来た場合、俺はいつもFC(自由奔放な子供)が出現するけど、A(親)に徹するように意識しよう」
と事前に注意を喚起できれば、トラブルを未然に防ぐこともできます。
相手のストロークの種類を冷静に観察してみましょう。
再度ポイントのまとめ
- 交流分析による相手のコミュニケーションの型を知る
- 職場ではCPで来る人が問題
- 相手のストロークの種類を見極めつつ、Aで対応するように努める
相手のCPの理由、こちらがAC,FC,CPのどれかを知ろう
ストレスが減り、トラブルも防ぐことができます。
カウンセリングの現場では
交流分析が万能というわけではありませんが、職場のコミュニケーションに使えるツールです。カウンセリングというより企業や組織の研修で、コミュニケーションの構造を理解するためのモデルの1つとして使っています。基本セオリーを知ってもらうことで、お互いが相手のコミュニケーションパターンに巻き込まれにくくなり、相手への理解が深まり、また自己の理解が深まります。結果、自分の上司がいやだなあと思ってたけど、自分も同じことをしている、迷惑をかけていることに気付けてお互いの理解が深まり、職場の環境は徐々に改善していく(プラスのスパイラルが始まる)ケースが多いです。
逆張りを考える
コミュニケーションはお互いの感情のやり取りです。感情のやり取りがなければコミュニケーションは存在しません。それどころか、自身も存在しなくなります。一つは感情のやりとりのない世界に人間は耐えることができないから。もう一つは、表を認識して初めて裏が登場するように、他人とのやり取りがあるから、自分という概念が登場するという意味でです。人間のかまってくれエネルギーは相当なもので、かまってほしいゆえに、窓割ったりとか、タイヤパンクさせたりとか、放火したりとかいう犯罪行為まで犯す人がいます。そこまで極端でなくても、わざと嫌われるようなことを言ったりしたりする人もいますし、わざといじめらるような人もいます。(古いですが、アルパチーノの映画「セント・オブ・ウーマン」の目の見えない大佐なんかもそうですね)。ストロークを受け止めてほしい欲望は相当大きなエネルギーです。
映画で考える心理学
不毛地帯
職場を描いたものってなんかあったかな~。って考えていたら映画ではなくテレビドラマですが、これを思いだしました。山崎豊子原作で、伊藤忠の鮫島さんがモデルといわれていますが、本人は否定してますね。太平洋戦争中に作戦参謀であった主人公壱岐は、戦後にシベリアに抑留され、10年強の強制労働ののちに帰国。帰国後は商社に入り、今度はビジネスの世界で作戦参謀としての力を発揮し、戦争に二度とならないためにも強い日本の創造を目指すというなか、競合他社や政治家、会社組織内のライバルとどう戦っていくかという話。日本の会社の男性のコミュニケーションが描かれたものともいえると思う。このコミュニケーションは当然Aで表向きは行われるわけですが、ふたを開ければみんなFCですよね~。主人公の壱岐は徹頭徹尾会社と国家のためという生き方が描かれているが、副社長で壱岐にその地位を奪われた里井は、基本は「ぼくちゃんって偉いよね~!みんな見て!」っていうFCに振り回された人。お金はもちろんだけど、これがほとんどの原動力であり、決定事項の根本なんじゃないかなあ。。。
大門社長はこの作品で故人になっちゃったね・・・カッコよかった。
出だしの続き。。。
入ってみると、店内が脂っぽい。かたずけもまだの中、我々を席に通してしまったのか、前のお客さんのビール瓶が出窓にあったりする。でも、肉さえおいしければと、期待して待つ。ジュージューの鉄板に大きな肉の塊が出てくる。おお、これこれ。とおもって、おもむろにナイフとフォークを手に取り、ごしごし。。。早速一切れを口に入れると・・・。ん。。。妻も何も言わない。黙々と食べている。妻は美味しくないものを口にすると黙るし、場合によっては不機嫌にもなる。んー俺が払ってるんだけど。。。店を出てもなにも言わない彼女にそう思うのだった。最初の「感じ」の段階でわかっていたのに、黙っていた結果払う「ツケ」はいつでもでかいよなあ。。。