目次
- イントロダクション
- 今日のテーマ
- それぞれについての解説
- 再度ポイントのまとめ
- カウンセリングの現場では・・・
- 逆説的考察
- 映画で考える心理学
- エンディング
今日のテーマ
- 交流分析で夫婦のコミュニケーションを見ます
- 夫婦は負の問題が累積しやすい構造を持っています
- 家は自分自身に帰れる場所ですが、相手の理解があってこそです
負のスパイラルになりやすい夫婦のコミュニケーションの構造を知って置きましょう。
それぞれについての解説
- 交流分析とは?
- 彼氏彼女編と何が異なるのか?
- 基本の構造はいつでも同じ
- 一緒にいる時間が長期で密
- AでなくCにもなれるのが家
- PACの理解で夫婦喧嘩が減る
2人が相手の対応がAを期待しているのにそうでないことにより起こる。
CPやFPで接してきたことにACやFCで接する。CPにCPで返す。
CPの中にFCがいる。
同じストロークがずっと続く可能性が高く、怒りや悲しみが累積しやすい構造の中にいるということです。
例えば、奥さんがCP、それに対する旦那さんがFCだったとします。
「あなた、ゴミはきちんとここに置くように何度もいってるじゃないの(怒)!」奥さんのCP
「こっちだって、疲れて帰ってきてるんだよ!そこまで気が回るわけがないよ!」旦那さんのFC
そしてお互いにフラストレーションがたまったまま、また顔を合わすことになります。
「あなた、ゴミはきちんとここに置くように昨日もいってるじゃないの(怒)!」奥さんのCP
「なんども言わなくても1回でいいよ!(怒)」旦那さんのFC
基本は、発散したい怒りが溜まっているのが問題で、非難しているポイントは何でもいいのです。(当人はそれを認識できていないケースがほとんどですが)
イライラしているので、些細なことが気になるのです。そして、コミュニケーションの取り方そのものが、その怒りを増幅するスパイラルに入っているのです。どんどん雪だるまのように大きくなります。ガスを抜くことをしても、話をするだけでフラストレーションが溜まる相手に双方がなってしまうのです。
例えば、奥さんがNPで、それに対する旦那さんがFCの場合はどうでしょうか?
奥さんの心(NP)「・・・ゴミを散らかしている。私がかたずけてあげないと何にも出来ないんだわこの人」
旦那さんの心(FC)「汚しても掃除をこの人はしてくれる人なんだ・・・」
奥さんの心(NP)「・・・別の女性とあっていても、男性っていうのはそういういものよ。私は包容力のある女性なんだから。」
旦那さんの心(FC)「別の女性とあっていてもこの人は何も言わない人だ・・・」
奥さんは自分に我慢を飲み込むように自己説得を繰り返しているのですが、これは旦那さんのFCを助長するだけになってしまっています。奥さんがNPの態度をとるのは、奥さんのお母さんがお父さんにしていた接し方を母親の正しい姿とし、それをやっていたからです。これはどんどん自分をみじめにし、相手をダメにしてしまうというスパイラルに入っています。
自己に存在するCを表現できる数少ない場所が家だと思います。ですが、社会的には家でもAで振る舞うことになっています。結果、Aを期待してコミュニケーションを取ることになります。お互いのCを理解し、お互いが「今はCがストロークを放っている」、「これからCでストロークを出すね。」ということをきちんと伝え、知覚することが大切です。Cは欲求不満の塊です。欲求の不満は実生活で悪さをします。冷静に外に行ったときにAで振る舞えるようにするためにも、家でCの不満を解消してあげられるのが望ましいですし、パートナーがそれを理解していると、家の中も明るくなります。
自分がCやPに振り回されていることにまず気づくことができ、そして相手もまたそうであることに気付けるでしょう。自分のCやPを許すことにより、相手のCやPも許せるようになります。また、相手がCやPを出してきても、自動的な反応(怒りや悲しみや従属)をせず、冷静にAを持って徐々に対応できるようになるでしょう。問題が増幅するスパイラルがとまり、しばらくすると、それが消えていき、コミュニケーションを取るごとに幸せが増幅するスパイラルが始まる可能性があります。(夫婦問題はこれだけではないのですが、根幹の一つといえるのではないでしょうか?)
再度ポイントのまとめ
- 家族はコミュニケーションが密なので、問題がどんどんたまりやすい構造になっている
- 家でぐらいCになれる環境を
- PACとお互いの理解と許しが本当の家族を作る
カウンセリングの現場では
カップルセラピーとか家族療法という言葉が存在し、それだけに特化したプロフェッショナルがいるぐらいですから、この問題を抱えている当該者は多く、また問題の根も深く、顕在化した問題は大きいものだと思います。世間一般にいう、優しいとか心が比較的折れやすいとかそういった人の方が、危険感知能力やセンスが高いのか、問題が大きくなる前に来られ、また真面目な方が多いので、アクションさえきちんと起こしてくだされば問題はすぐ解決の兆しを見せ始める場合が多いです。逆に、逆境に強いとか負けないとかいうことを自負されている方の方が、危機感知能力が低いというか鈍感(鈍感なふりの場合が多いですが)で、問題が顕在化し、大きくなってから、つまり家が燃えだして、それもボヤではなく本格的に燃え始めてから助けてほしいという人もちらほら見受けられます。交流分析を学習されると、現状を知るというだけでかなり状況が問題解決に向けて進みます。もっとも相手のあまりのCやPに失望して、逆に一人の道を選ぶ人もいらっしゃいますので、世間一般がいう幸せになるかはわかりませんが、本人が幸せに向かい一歩踏み出せるのは確かだと思います。
逆張りを考える
あえて交流分析の弱点を少し考えてみました。交流分析の秀悦な点は、相手と自分のPACは何か?というところに意思が焦点化する結果、自分のPACが自動的に起動しない点があげられると思います。つまり、分析に一生懸命(執着)になり、他の感情が湧いてくることを阻止しているというこです。ある意味冷静なAでの対応をすべく、初動で感情の炎の鎮火ができるわけです。ただ、コミュニケーションは交流分析という名が示すとおり、感情同士のやり取りでもありますので、一方が感情をぶつけてきているのに、こちらがその感情表現のレスポンスを直ちに返さないという状態はまずいわけです。実際の会話の間は1秒どころか0.5秒もありません。どう返そうか?って思ったらもう会話が不自然になってしまいます。つまり、あまりにも分析に集中しすぎると、自分の感情も人の話もおろそかになってしまい、本末転倒になる可能性もあるわけです。このリスクも知って置いたうえで、両方に集中できるように訓練するとよいでしょう。
映画で考える心理学
トライブ
ウクライナの映画。この映画の最大の特徴は声がないこと。つまり120分の全編を通して会話というものが全くない。というのもこれは全寮制の盲学校を舞台としているからだ。なので出演者たちの会話はすべて手話で行われる。が、この手話の通訳も字幕もこの映画ではない。だから本当に見る映画となっている。(階段を歩く音や、トラックの音など音はある)。最初何が起こっているのかよくわからないので眠くも正直なったが、盲学校の学生がギャング社会となっており(実際社会主義社会では障碍者は社会の荷物扱いされ下層の生活を強いられていたようです)、怒りや嫉妬、不安、愛などの感情がぶつかり合う様子がしっかりと描かれている。声がない分それ以外の部分でのコミュニケーションとなるわけだけど、全身をつかっての感情表現がしっかり目で感じ取れることがわかる映画だった。そういう意味で躍動感がものすごい。声のない反動として、一層そのエネルギーを生で感じることができる映画。
出だしの続き。。。
そこで、妻は彼を褒めた。たたえた。抱きしめながら感謝を述べた。すると、そのとたん、彼は誇らしげになり、笑みがあふれたそうだ。彼女の表現(言葉だけでなく、感情のこもったもの)が彼の人生でもっとも最悪だった経験を一気に誇れるすばらしい経験へと変えたようだ。たった一言とほんの少しの感情交流で、事実なんかいくらでも変えられるのだと改めて思った。それにしても8か月ですでに承認欲求がこんなにあるなんて、人間の問題は根深いと改めて思わされた。ホント深い。。。