うちの子供は7か月になる。ハイハイはまだだけど、もうそれに近いことはできる。一人で座れるし、それで自由になった手でこの前ふすまを開け閉めしていた。うちの子は、我が家という社会に属し、赤ちゃんという位置と役割が与えられている。でも本人はそれをたぶん意識してないだろう。基本的に黙々と、歩くための準備を自分ひとりで進めている。そこにあるのは、やったことをほめてほしいという承認欲求と孤独に耐えられないところ。この2つはDNAレベルで刻まれたものなんだと改めて思う。
目次
- イントロダクション
- 今日のトピック。実践で何が得られるのか?
- それぞれについての解説
- 再度ポイントのまとめ
- カウンセリングの現場では・・・
- 逆説的考察
- エンディング
この状況を克服すると何が得られるのか?
- 集団に属する意味と意義がわかります
- 集団から出された時に起こりうる問題を知ることができます
それぞれについての解説
- 位置
- 役割
- 位置と役割がないと・・・
位置とは、あなたが属している集団における、あなたの相対的な関係性を指します。
役割とは、その位置がになっているやるべき責任を負っているもの、期待されているものなどを指します。
例えば家族で行くと、お父さん、お母さん、おばあちゃん、娘、息子、など。
会社に行けば、部長とか、課長とか、広報部とか、○○商材担当者とかになります。
言い換えると、
どこの集団にも属していない。
やるべきことがない。
状態です。
人間には本能的に群れたい欲求があるので、孤独な状態というのは精神的にしんどい。
まして日本人は、ウチとソトという分け方で社会を定義するが、個人という概念が欧米のようにはいまだに存在しないので、無意識レベルでも所属意識は強く、それがないと精神的には相当な苦しみを味わうはずです。また、「周囲が期待しているあなたの存在や成果」というものが存在しない状態も孤独ですね。人はかかわりで生きている。誰も反応してくれないことを続けることは難しいでしょう。
役割をしっかり意識して、こなしていくことで、こういったことが原因で発生する不安を解消しましょう。
再度ポイントのまとめ
- 位置とは、あなたが属する集団における、あなたの相対的なポジション
- 役割とは、あなたが属する集団における、あなたに期待されたやるべきことをこなすということ
- 位置と役割がないと人間は生きるのが困難
カウンセリングの現場では
家族の構成が変わった時、例えば誰かが生まれたり子供が巣立っていった後は、女性の役割が母になったり、妻にもどったりします。また男性ですと退職後に長年会社で演じていた位置と役割が消滅し、家族だけになってしまいます。この時すでに家族での役割が入金のみになっていればあとは働かなくても退職金や年金がもらえるので、すでに家に位置も役割も具体的に存在しなかったりします。(象徴的にはあるのですが)ここが家族が思う位置と役割との間と齟齬があり、社会性の喪失感も手伝って、男性にとっては大変な時期といえます。家族での役割を探したり、ボランティアなどで別の位置と役割を探すことが多いですが、ここに大きな失望(場合によっては絶望)があり、そのケアをお手伝いすることになります。
逆張りを考える
位置と役割がなくても人間は生きていけるのか?
ないということの効用はあるのか?
結局、ないことで気づくのは、その重要性とありがたみだと思います。
家族がいなくなれば、家族の存在そのものに感謝が湧くし、会社を退職すれば、その存在に感謝が湧くでしょう。
仏教に托鉢というものがありますが、これはお金が余っている人からだけでなく、それどころか、貧困の人ほど施しをするように教えています。一見逆説的に聞こえますが、これは、貧困のひとのような、社会的な位置も役割も乏しい人たちにも、施しをすることでそれ(位置と役割。この場合このお坊さんの修行と生を支えたという位置と役割)があたえられ、幸福感とか存在意義とか自己重要感が増すからだと思います。逆にいうとそれだけ、人間の根底にあるものだといえます。
出だしの続き。。。
こちらのある程度の期待があったほうが、どんどんいろいろこなしていく。
孤独の面はできるだけ、寂しさを素早く満たした方が、淋しさを感じることなくもくもくと作業に没頭できる時間が増えていく。
赤ちゃんをみることで、位置と役割という呪縛から人間が脱出した状態を発見しようと試みたものの、
本人はまったく認識しなくても、位置と役割に組み込まれて言っているような気がする。。。