名詞化と動詞(心が動き出すヒント)

土井健郎の「甘えの構造」を読んでたら、
法律の専門家のクライアントが、母親に愛されなかった経験から、母性を欲し、それがつらいということでカウンセリングに来たそうです。
そのクライアントさんが、恐怖と対峙し克服すべく、女性パートナーから助けてほしいということを土井健郎に伝えるにあたり、
「自分を輔弼してくれる人を探している」という言葉を使ったそうです。「自分を苦しみから救ってほしい」、「助けてほしい」でなく「輔弼」。
何にも関係のない第三者からみれば、ぷっと吹き出しそうですが、あえてこの言葉を使った意味を、「名詞化と動詞」を心理的視点で説明してみましょう。

目次

  1. イントロダクション
  2. 今日のトピック。実践で何が得られるのか?
  3. それぞれについての解説
  4. 再度ポイントのまとめ
  5. カウンセリングの現場では・・・
  6. 逆説的考察
  7. エンディング

この状況を克服すると何が得られるのか?

  1. 現実問題(例えば不安や恐怖)から逃避している自分に気付けるようになります
  2. 現実問題(例えば不安や恐怖)に直面できる力が身に付きます
  3. 他人が無意識レベルでさけている問題に気づけるようになります
  4. 現実に直面することで、抑え込んでいた感情が動き出します。

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名詞と動詞のどちらを選択するかで、感情を動かしたり、とめたりできます。

それぞれについての解説

  1. 名詞化
  2. 例えばこういうことです。
    できれば声に出して、音読してみてください。
    その際、体、特に、のど、肩甲骨、お腹、股関節、アキレス腱などにある筋肉に注目するのをお勧めします。敏感かつ繊細なあなたであれば、その変化に気づくことができるでしょう。それでは行きます。
    「楽しい」→「享楽」
    「欲しい」→「欲求」「必要性」
    「苦しい」→「苦悩」
    「悲しい」→「悲哀」
    「むかつく」→「憤怒」
    なにかお気づきになりましたでしょうか?

    おそらくほとんどの方が、前者に躍動感を感じ、筋肉繊維の反応が大きかったのではないでしょうか?後者にはそれと比較すると淡々とした覚めた感じや感情が感じられたかと思います。第三者の観点から、文字通り客観的にみたような錯覚が起こった方がいたかもしれません。名詞化というのは、自分がそこになっているという臨場感や現場感を打ち消す作用が実はあるのです。

    客観的に自分を見られるというと、感情を一旦置いて置き、冷静に自分を分析できるという意味で捉えられるかもしれません。ですがそれが必ずしもそうとは言い切れないところがあります。というのも、それが「恐怖からの逃避」行為であるかもしれないからです。これも別にまた書こうかと思いますが、人間の無意識は、自分に耐えきれないことや不快なことがあるとその場から逃げようとします。典型的な例としては
    妻:「ちょっとうちの子が何を学校でしたか聞いてよ!」
    夫:「そういえば今日の巨人戦の結果はどうなったかな?」
    この夫の反応、笑えますか?
    でも、名詞化っていうのはここでいう夫がしている行為と本質では変わりません。その状況がつらいので認めたくないのですが、無意識がその感情と立ち向かうことなく、無視するように仕向けるのです。最初の実験でも、「苦しい」というより「苦悩」といったほうが、なんとなく他人ごとのように感じられるし、実際身体感覚が楽なので、そうしたくなるのですが、それは今直面している「苦しい」を無視していることにほかなりません。逃避でありあなたの防衛本能です。ネガティブな名詞を使っているときは、要注意です。

    またポジティブな名詞も、無意識でブレーキをかけている状態だといえます。「楽しい」っていいたいけど、そこに罪悪感があるから享楽ということばを使う。「欲しい」って言いたいけど、そこに恥ずかしさがあるから「必要」という。これも本心を隠そうと無意識が働いていることに気付くべきでしょう。

  3. 動詞で言ってみる
  4. もう一回、最初のワークを今度は動詞化する視点からやってみましょう。
    「享楽」→「楽しい」
    「欲求」→「必要性」「欲しい」
    「苦悩」→「苦しい」
    「悲哀」→「悲しい」
    「憤怒」→「むかつく」
    今度は何にお気づきになりましたでしょうか?

    今度は筋肉繊維や細胞などの身体感覚がみなぎったり、縮こまったり、震えたりしたのではないでしょうか?
    そうです。動詞化は自分の本心と対話するために必要であり、無意識が自動的に避けてしまっている事実と向き合えるチャンスなのです。

再度ポイントのまとめ

  1. 名詞化とは
  2. 逃避の一種
    自分の感情や身体感覚を切り離すための手段
    問題に直面するのを避けている

  3. 動詞化とは
  4. 問題との直面化の手段の一種
    自分の感情や身体感覚と対話できる
    問題にきちんと直面できる

カウンセリングの現場では

非常に優秀な方が陥るワナだと思っています。この前も自分の状況を非常にわかりやすく、論理的に説明されるクライアントさんがいらっしゃいました。語彙も抱負で非常に優秀な方だとお見受けしましたが、この方の語り口がまさに名詞化だったのです。つまり、自分の感情や身体感覚は置き去りになっていて、まるで新聞記者が事件現場に行ってきたような語り口でご自身のことを語るのです。雄弁で立て板に水のように語っておられたのですが、「で、その時何を感じられたのですか?」「その時の体の感覚ってどんな感じでしたか?」という質問を投げかけると、とたんに詰まってしまいました。もちろん優秀な方ですので、無視しているものが何かそのあとご自身の力で発見されていました。社会的地位もあると、名詞で語る方が恰好がいいですしね。でも自分と対話するのには向いてない言葉だと思っています。

逆張りを考える

何でもバランスとタイミングなので、動詞化が100%有効というわけではもちろんないと思います。たとえば、このブログでよく言っている、不安や恐怖に囚われている状態は、逆に自分を味わい尽くしているとも言えますので(本当は味わうどころか頭が停止しているケースがほとんどですが・・・)、本当に一度は直面して、かつ名詞化の悪い面も知ったうえで、あえてネガティブ度を弱めるために
「怖い・おそろしい」→「恐怖」
「そわそわする」→「不安」 
っていう場合も当然ありです。あくまでケースバイケースですけどね。
ポイントは
「名詞化している」
「逃避している行為をあえてしているんだ」
という意識があればOK!

出だしの続き。。。

このクライアントさんの場合、あくまで本を読んでの私の推測にすぎませんが、苦しさとの対面を避けたかった、そして助けてということに罪悪感や蔑視があったのでしょうね。そりゃ、ある程度の年齢も社会的地位もある男性が、「お母さんになって誰か僕を助けて!」なんて普通は言えないし、そんな気持ちの存在を認めたくないのは、社会通念上普通ですよねー。でも、この「お母さんになって誰か僕を助けて!」が言えないから、この人苦しくて、土井さんのところに来たのでしょうね。「輔弼」を選択するあたり、クライアントさんの女性のとらえ方が、男性を業務的にサポートする役割、機構的にサポートする役割、と見ているし、自分の方がものすごく偉いっていうプライドもあったりで、このあたりの距離を詰めるのにも、まず自分の本心と直面する必要があり、その場で動詞化が役に立つでしょうね。
「輔弼」→「金払うから仕事として苦しむ僕を助けてほしい!」
「輔弼」→「サポート役という役職について苦しむ僕を助けてほしい!」
「輔弼」→「僕は偉いのだから、あがめて、ていねいに扱ってほしい!」
あくまで、私の本からの妄想です。


「甘えの構造」土井健郎

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