目次
- イントロダクション
- 今日のテーマ
- それぞれについての解説
- 再度ポイントのまとめ
- カウンセリングの現場では・・・
- 逆説的考察
- 映画で考える心理学
- エンディング
今日のテーマ
- 1
- 2
- 3
- 4
- 5
- 6
- 7
- 8
それぞれについての解説
- 喪失感
- 喪失感の構造を考える
- 喪失感をどうすればよいか?
喪失感は以下のプロセスで起こります。
1.現実の受け入れ拒否
怒り(なんで自分にこんなことをが起こったのか許せない)
↓
悲しみ(もうそういったことが現実に起こらないという悲しみ)
↓
受容(その悲しい事実を受け入れていく)
↓
乗り越え(悲しい事実を自分の糧として生きていく。現実を受け入れられる強さを持つ)
かわいがっていた犬が死んでしまった。
受け入れ拒否:
そんなことあるはずがない。
夕方になったら元気になってごはん食べたいって吠えて帰ってくるさ。
明日には回復するはずさ。
いやこれはなにかの間違いだ。獣医の先生はほかの犬と間違えているんだ。
何か間違った情報が入ってきているんだ。
必死に現実を打ち消そうとします。
↓
2.怒り:
なんで神様は他の犬でなくてうちの犬の命を奪ったんだ!運命を許せない!
何で獣医はうちの犬の治療をもっと適格にやらなかったんだ!先生を許せない!
なんで、旦那はうちの犬の体調が悪いのにもっと速く気付かなかったの?なんですぐ病院につれていかなかったの?旦那が許せない!
なんで、旦那よりも先に自分が気付いてやれないかったの?自分が許せない!
そういう状況になったことに対して誰かや何かのせいにしようとします。
↓
3.悲しみ:
うちにもらってきたとき、かわいくてしょうがなかったなあ。
花火を怖がって猛烈にきゃんきゃん泣いていたなあ。
散歩にいくと滅茶苦茶元気で走り回っていたなあ。
おしゃぶり用の犬用ガムを上げると、すぐうめるくせに、そのあと穴が一杯あったからどこに埋めたかわかんなくなってたんだろうなあ。
そして、そういうのはすべて思い出。もうあの犬の鳴き声も聞けないし、尻尾を振って寄っても来ない。あの毛並みをなでることもできないんだなあ。
胸が苦しいなあ。のども張っているなあ。目頭も思いなあ。寂しいなあ。そして涙が静かだけどとどめなく思いだすたびにこみあげてくるなあ。
素質した対象の良い思い出が次々想起されると同時に、それを喪失したこと、もっと具体的にいうと現実の世界では二度と会えないという事実に対して失望し、深い悲しみがこみあげてきます。
↓
4.受容:
あの犬はもう、別の世界に行ってしまったんだな。あっちの世界でも元気にしているんだろうな。
一緒にすごした5年間はとても良かったな。あいつにとってもよかったんだといいなあ。
あいつのおかげで、命の大切さを知ることができたなあ。子供にもそのことを教えてあげられたな。
あいつのおかげで子供達は大切な思い出もできたし、動物に対する思いやりももてたんだろうなあ。
2度と現実世界では会えない事実は変わらないが、喪失によって顕在化したプラス面もみえてくるようになる。また思い出として、回想することが涙でなく、笑みを喚起するようになってくる。
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5.乗り越え:
犬や猫を無くした人の気持ちが、前よりずっとわかるなあ。前は頭で悲しいと思っていたけど、今ではそういう話を聞いただけで胸もきゅんとなるし、目頭もずんと熱くなったりもする。
子供や親を亡くした人はそれ以上の悲しみがあるんだよな。
そして、それを乗り越えて、日常生活をおくっているんだよな。はた目には普通に生活しているようにしか見えないけど。
他人に対してもっと深いレベルでの心情理解ができるようになり、尊敬の念も持てるようになります。
苦しみを得たがゆえに、物事を俯瞰して見える高さが高まります。
喪失感は
「会うことで、自分の存在意義を満たしてくれるものとのアクセスが不可能になった状態」と私はとらえています。
存在意義っていうとわかりにくいけど、英語のBeingがわかりやすいかもしれません。
Doingとは異なり、別にこれといった行為をしなくても、ただ「いる」だけである意味がBeing。
Doingは○○したから自分はこういう意味がある。例えば稼いできたから偉いといったようなもの。
人の存在は絶対的でなく相対的でしか意味が持てない。つまり相手がいないと存在意義というものが存在しないということ。
地球上にあなたとAさんしか存在しないとすれば、Aさんがあなたをどう扱うか、あなたに何を言うか、あなたに対してどんな表情や態度を見せるかで、そして同様にあなたがAさんに対してどうするかで、あなたの存在意義Beingが決まる。あなたが一人では意義に意味はないので存在しない。
その存在意義を構築しているウエイトが高い人物やペット、物が、現実世界から消えることで生まれるのが喪失感だと理解している。
旦那さんを無くした妻、
お金だけ持ってくるのが旦那と本気で割り切っていたとしたら、喪失感はない。それでも喪失感があったとすれば、これから稼いでくるはずだったお金が消えたことや、生活の安心や安全を急に失ったことに対してです。通常、旦那さんは、奥さんの存在の一部になっています。あなたが満たされている状態だとするとそれを感じられないどころか、空気のようにその重要性を日常生活においてなかなか感じられないと思います。ですが、存在の消失(不在)により心にぽっかり穴があいた状態というのはまさにそうで、そこにはまっていたものがあるわけで、それは旦那さんのためにやる家事、旦那さんのことを思って買ってきたお土産、洋服、プレゼント、かけてあげたアドバイス、ほめ言葉、慰め、旦那さんからもらったプレゼント、アドバイス、ほめ言葉、アドバイス、慰め、この関係性がこの奥さんの存在意義(Being)を構築していたのです。
飼い犬をなくしたのなら
飼い犬でなく、あなたがペットを飼ったことが未経験で、となりの犬が死んだも喪失感は通常あまり起こりません。自分の家のペットであっても、例えば家庭内別居状態で、旦那さんが飼っている犬が死んだのであれば、同じように喪失感は起こらないでしょう。やはり飼い犬が飼い主の存在の一部となっているから、喪失感が起こるわけです。
憎んでいる人、嫌いな人がいなくなった場合
嫌いな人の消滅にも喪失感がある。嫌いだった嫁や姑が死んでしまったら、急にいい人であったことしか回想できなかったりとか、あれほど嫌いだった旦那が死んでしまったとたん、悲しくしょうがないとか。これも相手との関係が、あなたの存在意義を構成していたから、喪失感が起こっているのです。
1.無視しない
男性もしくは男性要素の強い女性、男性要素が要求される立場にいる女性に多いのですが、ご自身に強くいることを求めるあまり、湧き起こる喪失感を無視しようと必死になっている人をよく見受けます。泣いていいのです。怒っていいのです。声を上げていいのです。今はまさにその時なのです。自分に嘘をつく必要も、恰好をつける必要もありません。ただただあなたの感情が欲する通りのことをしてあげましょう。
2.急がない
この感情を経るのに近道はありません。対象がくれたあなたの存在意義が、対称にしてあげたことによってあったあなたの存在意義が、大きければ大きいほど、喪失感が大きくなるのは当然です。昨日大泣きしたのに今日も涙が止まらない。それだけ喪失が大きかっただけの話です。ただただあなたの感情が欲する通りのことをしてあげましょう。
3.いつまでも浸りすぎない
感情の赴くままなのはとても大切なことですが、いつまでも赴くままにしておくと社会復帰できない可能性があります。まずは外を散歩する、あるいは身近な人とおしゃべりするなど、簡単でかつできるところから、社会に再びかかわっていきましょう。ある程度忙しくするのも一つの方法です。体を動かすことも大切です。
これを乗り越えられなくて死んでしまう人もいます。
受容のプロセスに進めないのです。受け入れないあるいは受け入れすぎるどちらかが原因です。
再度ポイントのまとめ
- 喪失感は、自分の存在の意味を作っている相手を物理的に失ったときに起こる
- 喪失感は、対称を失った際に起こるプロセスの1つ
- 喪失感は、適度にじっくり味わうのが大切
カウンセリングの現場では
大きな喪失はその後のその人の人生を大きく左右します。影響も大きく死にたいという気持ちを強く持ってしまったり、殺したいという気持ちを怒りの相手に強くもってしまったり、喪失感にとらわれすぎてしまい、生のエネルギーが枯渇してしまって、社会復帰できないままになってしまったり。急がず浸るタイミングなのか、浸るのをやめて急いで元気を取り戻すタイミングなのかの見極めが難しいところだといえますが、これも教科書的な回答はなくクライアントさんおひとりの性格と状況で様々です。
逆張りを考える
この喪失感はもっともエネルギーを奪うネガティブな存在に一見見えます。私も自分から進んで喪失感とぶち当たりたいとはこれっぽっちも思いません。ですが、この喪失感ときちんと直面し、自分の深い悲しみと直面と体感できた人というのは、そのあとにすがすがしさと、その奥にある芯の強さを感じさせてくれます。存在感を強く感じるのです。その強さとは、弱い犬が大きな犬にきゃんきゃん吠えるような奥にある弱さからくる反動の強さでなく、無意識の世界から来る強さ、ただどっしり立っているというだけでもすごい、大木のような強さです。失ったことで得られるものがあるのです。
映画で考える心理学
真夜中のゆりかご
デンマーク映画とわからずに鑑賞。言葉からドイツ語かスウェーデン語に近いなあと思っていたから、私の感もさすがといったところ。おそらく初めてみたデンマーク映画。全体的に暗い印象と、それを払拭するには小さすぎるけど重要な幸せの発見で終わる構成。ストーリーは自分の生後7か月ぐらいの息子が突然死してしまった警官が、たまたま捜査対象だったヤク中で虐待をし、育児放棄している両親の元にいる子供とすり替えてしまうという話。愛する子供を失う怒りと、絶望が細かく描けている映画の一つ。
出だしの続き。。。
一方、もともと「新幹線ができたらあんたら経営は都道府県でやるんだよ。わかった?」
という約束で、民営化している鉄道会社は、経営が大変だから助けてくれという。いつか救世主が来るという、こちら現実を見ない経営の会社だらけだよな、第三セクターって。と思うと、新幹線と競争するためにできた、今乗っている「超快速」に親近感が湧いてきた。平日なのに人も結構乗っている。いいね!