目次
- イントロダクション
- 今日のテーマ
- それぞれについての解説
- 再度ポイントのまとめ
- カウンセリングの現場では・・・
- 逆説的考察
- 映画で考える心理学
- エンディング
今日のテーマ
- 1
- 2
- 3
- 4
- 5
- 6
- 7
- 8
それぞれについての解説
- 嫉妬は憧れ+怒りです
- 2.の解説
- 3.の解説
憧れのない人に対して、我々は嫉妬はしません。必ず尊敬している部分、うらやましいと思っている部分があります。そしてそれに対して腹が立つのですが、なぜ腹が立つのでしょうか?なぜ尊敬する部分をもっている人に怒りが湧いてくるのでしょうか?それは自分と相手が対等であるべきという幻想があるからです。同じ扱いを受けるべきだという勝手な信念があるからです。
それでは、なぜ同じ扱いを受けるべきだと思うのでしょうか?
なぜ自分の尊敬してくれない世間に対してではなく、相手に対して敵意を持つのでしょうか?
結局は自分の弱さからの逃避
嫉妬する人は、相手のしている努力を無視しています。
○○さえあれば・・・というとらえ方をしています。
Aちゃんと同じように私も足さえ長ければ・・・わたしももっと注目されるのに。
Aちゃんと同じように私も声さえ綺麗ならば・・・私も聖歌のメンバーに選ばれたのに。
Aちゃんと同じように××塾に私も行かせてもらえたら・・・わたしの成績はAちゃんぐらいかもっといいはずなのに。
○○が自分にはないという事実をなかなか受け入れることができない。
わたしには長い脚はない
わたしには綺麗な声がない
わたしの家は××塾にわたしをいかせる経済的余裕がない
○○というものに、とても大きな価値を置く
容姿が端麗である(脚が長い)ということととても重要なことだ
綺麗な声がでるということはとても重要なことだ
勉強ができるというのはとても重要なことだ
そして、そこに大きな価値を置いている理由は大体・・・
容姿が端麗だと、みんなが注目してくれる!褒めてくれる!尊敬してくれる!
綺麗な声を持っていると、みんなが注目してくれる!褒めてくれる!尊敬してくれる!
勉強ができると、みんなが注目してくれる!褒めてくれる!尊敬してくれる!
みんなが注目してくれる!褒めてくれる!尊敬してくれる!
いいかえると
みんなわたしを見て!褒めて!尊敬して!
つまり、承認欲求が満たしたい!という場合がほとんどです。
現実の私を受け入れれば
わたしには長い脚は残念だけどない。でも靴や服のセンスである程度かえられるかもしれない。
わたしには綺麗な声は残念だけどまだ出せない。でも練習や努力でカバーできる部分はあるかもしれない。
わたしの家は××塾にわたしをいかせる経済的余裕が残念だけどない。でも家で勉強する方法もあるかもしれない。
もっとこの現実的な思考が進めば・・・
わたしが容姿にこだわるのは、容姿さえよければ、いじめられなくなるというのがそもそもの考えだったみたい。それは浅はかだったのでは?
わたしは歌にこだわっていたけど、そもそもこれは目立ちたかっただけで、本当は楽器に興味があったのでは?
勉強が大事とずっと思ってきたけど、そもそも親が有名大学に行ってほしいという期待に応えたかっただけでは?
つまり自分が優先している価値観がある。
その価値観はおそらく他人からうえつけられたもの。
その価値観において自分は落第生だったりする。
世間の価値観の方が楽
平等の勘違い
人それぞれって思えない
結局人の
私はこんなに頑張っているのに、なぜそうならないのか?とかまってもらえない自分を認めない世間に対する怒り。
それはあたしが手に入れるべきものなのになぜ?
相手は運がいいと思いこむ
自分の置かれた境遇をきちんと見ようとしない、課題に取り組もうとしない
努力しないで、同じ扱いをされようという、幻想、傲慢さ、厚かましさ、
再度ポイントのまとめ
- 1
- 2
- 3
カウンセリングの現場では
カウンセリングに来て、自分の嫉妬について語るひとは、1.自分が嫉妬している状態を知っている。2.それを何とかしたくてどうしようもないという思いがある。人です。