希望を強く持つ・・・ことの問題点(希望の裏の顔を知っておく)

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長男を実家に連れ帰る。生まれて始めて会う、爺さん、婆さん、ひいお爺さん、ひいお婆さん、そして学生時代の仲間、そしてその奥さん、そしてその子供達。。。さすがにあんまり人見知りしないと思っていたうちの子だったが、ちょっと不機嫌になる相手もいた。でも概ね受け入れているように見受けられた。

目次

  1. イントロダクション
  2. 今日のテーマ
  3. それぞれについての解説
  4. 再度ポイントのまとめ
  5. カウンセリングの現場では・・・
  6. 逆説的考察
  7. 映画で考える心理学
  8. エンディング

今日のテーマ

  1. 強い希望は弱さの現れだと気づけます
  2. 希望は絶望とセットであることに気付けます

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強い光が強い紫外線があるように、強い希望にも有害物質が含まれています。取り扱いに注意しましょう。

それぞれについての解説

  1. 希望も強く持ちすぎるのは現実逃避
  2. 希望を強く持ちたいのは、この先よくなると信じたいからです。もっというと、この先満足いく状況があるということにすがりたい。別の言い方をすると、今直面している現状から逃げたいという気持ちの現れでもあります。例えば、昇進やTOEIC800点のため、3か月で5キロ痩せるために日々努力しているけど、その努力がつらくて、すっ飛ばしたいという気持ち、つまり逃げたいという気持ちが強くなると、希望は強くなります。逆にいいのは、そのプロセスがだんだん面白くなってきて、目標は結果に過ぎないと、目標への執着がだんたんなくなっていくことです。日々の仕事が面白くてしょうがない。英語の単語の語源を調べるのが止められないぐらい興味が湧いてきた。走ることがどんどん楽しくなってきたなど。ところが、具体的な努力をしているのであればまだしも、そういうことを強く思っているだけで、なにもしていないどころか、現状は本人にとって耐えがたい状態の場合も、希望は強くなる。希望は強くなると、現実はみえなくなってくる。昇進したいのに、「部下とうまくいく本」「課長の教科書」という本しか読んでいない人、TOEIC800点とりたいと思っているのに、参考書を買っただけの人。5キロやせたいのに、明日からと思ってケーキを今日もほうばっている人。もっとひどくなると、日々の日報の書き方でさえ注意されているのに、その問題の解決でなく、課長になるという希望を持つことで、その問題に直面しない人。就職せず、ずっと親にすがってバイトもしていない状態の実家暮らし、家の手伝いもしない状態なのに、TOEIC800点を取れば就職が決まり問題が解決すると希望を持つことで、問題に直面しない人。部屋も片付かず、きちんと就職もしていないのに、自分の容貌がきれいになればすべてが解決するという希望を持つことで、この問題に直面しようとしない人。もっと進むと希望にすがるように人はなってしまいます。以前TVで50際をすぎたニートの話をしていました。彼は就職しても長続きせず、40歳を過ぎたあたりからは親の年金をあてにして生活し、バイトもしていません。50歳を過ぎたあたりに、公民館であった話し方教室で自分の話が大うけした(本人談)ことから、親のお金で吉本興業のお笑い養成所に入り、今の夢はお笑いでごはんを食べること。今はネタを考えるのに時間を使いたいから、バイトはしないっていうけど、実際は朝起きてからずっとゴロゴロでネタを考えている様子も練習している風景も見られませんでした。これはひどい例でしょうが、今持っている、今選んだ選択肢が100%正しいと希望を持ちすぎている点はもしかしたら同じかもしれません。常にチェックすることが必要ですね。

  3. 希望の裏側には絶望がいる
  4. ちなみに、ギリシア神話に登場するパンドラの箱(もともとは壺)に最後に残ったのも希望です。プロメテウスはゼウスから火を奪い、怒ったゼウスは人間界にパンドラと壺を送り込みます。壺にはあらゆる厄災が詰まっていました。プロメテウスは才識でこのたくらみに気づき(プロメテウスは事前に考える人という意味)、弟のエピメテウスにそのことを伝えます。ところがパンドラがあまりにも美人であったので、兄との約束はおろか、結婚までしてしまいます。(エピメテウスは事後に考える人という意味)。結果、パンドラは壺を開け、あらゆる厄災が人間界に蔓延することになりました。ところが1つだけ壺の中に残ったものがありました。それが希望だったのです。一般にだから希望は大切だといわれますが、そうではなく希望というのは厄災の一つに過ぎない。つまり人間に逃避を誘惑し、かつ裏切って絶望に陥れるものだからだ、という解釈もあります。うまくいかなかったとき、その希望が大きければ大きいほど、そしてそこへの努力が大きければ大きいほど、信じていれば信じていたほど。その現実に直面すると絶望が待っているのです。(もっともずっと希望に逃げいるよりは100倍いいのですが・・・)
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    ギリシア神話で「希望」を人間界にもたらしたパンドラ

  5. 希望を持ちすぎないようにするためには
  6. 1.常にその選択肢が正しいか疑問も持つ
    2.盲目的に信じない
    3.一般的にどのような評価なのかにはある程度興味を持っておく。
    ま、いつも通り、常に冷静でいろ、興奮しすぎるなってことですね。

再度ポイントのまとめ

  1. 強い希望は逃避の可能性がある
  2. 強い希望は絶望になる可能性がある
  3. 常に客観的で希望を抱きすぎないのが大切

カウンセリングの現場では

強すぎる希望は、本来の自分自身を受け入れることができず、そして親を中心とした世間に作れた価値観や価値基準を絶対視している自我があり、その2つが葛藤を起こすことに起因する症状の一つの例といえます。以前にもご紹介してきましたとおり、この2つの認識から始まり、本来の自分を受け入れていく、つまり上の例の方がクライアントさんとすると、日報がまともに書けない、家で親のお金を当てにして生きていて自分は何もしていない、部屋も片付けず醜いと自分が思っている自分が存在する。英語でいう現在進行形(ing)を自分自身と認めるところから始まります。ダメだとおもう自身の存在に対し、「無視してゴメンね」「これから少しずつ一緒に頑張ろう」と受容と、これから共存することを行っていき、初めて具体的な目標に向けて動けるようになります。

逆張りを考える

希望のいい点
希望は実態もないのに、人を気持ちよくさせたり、落ち着かせたり、興奮させたりする作用があります。
実社会では、マーケティングやマネジメントに一般に採用されています。ですから、企業広告が与える希望には細心の注意が必要でしょうし、企業側であれば、いかに顧客に希望を与えるかが重要なポイントになってくるということです。

映画で考える心理学

羅生門

原作は芥川龍之介の羅生門であるが、わずか数ページしかないこの原作に、今昔物語のエピソードを1部くっつけ、それをベースにさらに発展化してある。舞台が羅生門で、そのエピソードが羅生門に登場する人物の回想という形で映画化している。7人の侍を含め、黒沢映画の真骨頂といわれ、その時代を築いた脚本家の橋本忍との初めての作品。一人の侍が殺されたということで、その妻と盗賊がひっとらえられるのだが、意見が食い違うので、巫女を読んで殺された侍に話を聞く、だが見ていたという人物がそのどれもが異なるというストーリー。真実はその人の意識がどこに当たるのかによって、見えるものが異なる以上当然違ってくる。あなたが好きなエピソードがあなたが選んでいる事実。そして、それを選ばせている無意識は、その真逆にあるものを見えなくするためにそれは行われている。見方によっては恐ろしいことです。。。

黒沢明 羅生門 名作です。。。

出だしの続き。。。

しかし、家に帰ってからは爆睡。普段2時間おきに起きてしまうのに、全然起きない。。。
人間ってやっぱりたくさんの人たちに会うようにはできていない動物なんだろうな。
と寝顔を見ながら思ってしまった。

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