心理学から日本人と仏教の関係を考えてみた。

大仏_(Daibutsu)_Il_grande_Buddha,_奈良_(Nara)

目次

  1. イントロダクション
  2. 今日のテーマ
  3. それぞれについての解説
  4. 再度ポイントのまとめ
  5. カウンセリングの現場では・・・
  6. 逆説的考察
  7. 映画で考える心理学
  8. エンディング

今日のテーマ

  1. 日本の仏教はオリジナルと違う
  2. 日本の仏教は日本人の無意識感に合わせて存在する
  3. 日本人の無意識感を理解するといろいろわかる

それぞれについての解説

  1. 日本仏教は仏教とは違う
  2. 日本仏教は神道の上に仏教が乗っかったものでベースは神道
    神道は経典がないので、ベースは日本人の無意識の世界と考えてみる。
    日本人の無意識の世界の特徴は以下であると思う。
    1.中空構造(中心が空洞で爺、母、息子の3つの象徴による三角構造。全体への影響が過剰でなければなんでも取り込む。心理学者河合隼雄が考えたもの)
    2.性に対して奔放、アルコールに対して奔放
    3.命の軽視、個の軽視
    4.自然と自然現象に対する崇拝
    5.恥を極端に嫌う、集団の重視

    このベースを入れ替えることなく仏教を取り入れた
    だから、日本仏教は
    1.仏がたくさんいる神様の中の一つになっている
     インドで仏教が発祥した際に、神様は存在していない。
     仏陀は解脱した人(悟った人、すべてを知る人)という意味で、誰でもなれるもの。崇拝の対象ではない
     仏教はもともとすがる宗教ではなく、本人が救われるための心理学であり哲学であり、そのための練習法
     神様仏様!というお願いも日本仏教。
     死んだ人を仏様(ブッダになる)というのも日本仏教。死んだら解脱した人以外は輪廻するのが元の仏教の教え。
    2.いろんな仏教の神様が存在する
     元の仏教はあくまで自分で自分を救うというもの。仏教の世界観に神様は存在しない。
    3.帯妻者がいるし、後継ぎもいるし、色恋が語られる 
     仏教において性的衝動は絶対に禁止されており、いわば 仏教の柱ともいえる哲学の一つ。修行僧は性行為はもちろん、妄想することも厳禁されている。
     そこを曲解できるのは、やはり「日本人の無意識」がベースにだからで、これを許した時点で、仏教の本質を理解できなかったのではないかと個人的には思う。日本で性の感覚が変わったのは明治維新以降。浮世絵はもちろん、「東海道中膝栗毛」といった大衆小説でもやじさんの性の奔放さが描かれているし、農村でも夜這いの文化は明治初期まであった。盆踊りも夜這いや逢引のためのイベントであった。日本初代駐日大使のハリスは病気になった際に看護婦を所望したが、日本人はそれが理解できず、夜の性の相手を欲しがったと捉えた。日本人は性に対して奔放だった。
    殺生についても同じでこれも厳禁されている。今でこそ日本人は殺生にたいしての罪悪感を持っているが、江戸時代まではその感覚は薄かったらしい。徳川家康が禁止するまでは、大きなお寺は軍を持っていたのが平安後期以降通常であったし、信長はこの軍を嫌い全面戦争までした宗派や寺院もあった。また名前を魚や野菜にして、肉も食していた。生命というのは平等で差はない。たまたま輪廻して人間になったけど、次はその殺した動物かもしれないし、またもともとの命は分かれているようで、みな1つなのだという教えがあり、こちらも仏教の柱。それを簡単に打ち破っていたのも、「日本人の無意識」がベースで仏教がベースではないからだろう。
    4.念仏を唱えれば救われる
     仏教は悟りを開くための練習を説いたもので、その悟りは言葉でなく本質が問われるもの。形が本質を作ることも事実あるが、仏教では安易な約束はしていない。神はすがる対象であり、すくってくれるものというのは、日本人の宗教観に基づいたもの。
    5.神様は何度でも許してくれる
     キリスト教には原罪という考え方があり、生まれたときから人間は罪を追っている。そして許しを与えてくれるかどうかはすべて神次第で、人間がどうこう言える問題ではない。江戸時代日本人はこの原罪を理解できなかったらしく、隠れキリシタンの翻訳した経典では、長い年月ののち許してくれると翻訳されていた。神は許すものだというのが日本人の無意識の世界にあるからだと個人的に思う。インドのオリジナル仏教において、神様というものが存在しないので、その行為を許すかどうかは本人次第ということになる。

再度ポイントのまとめ

  1. 日本の仏教はオリジナルと違う
  2. 日本の仏教は日本人の無意識感に合わせて存在する
  3. 日本人の無意識感を理解するといろいろわかる

カウンセリングの現場では

今回は、あくまで日本人らしさも無意識を考えるとわかりやすいと思ったので、仏教を「道具」として、そこへのアプローチを試みたものです。

逆張りを考える

世界の現在のルールは欧米人が戦後主体で作ったもの。欧米人の思考の根本にはキリスト教があるので、キリスト教を知っておくのは助けになると思う。が、今のヨーロッパキリスト教の原点は、ラテン系であればローマが基本。でもローマ文化はギリシア人の無意識も乗っかっている。ゲルマン民族であれば、森で暮らしていたころの無意識がその根本にある。アングロサクソンはブリテン島の荒野が原風景としてあるだろう。アメリカ人はその中でも苦境を逃れて新天地で生きるというところが母体となった人が作った国家である。無意識を理解するのは一筋縄ではいかないようだ。

映画で考える心理学

狼の意味はいろいろ考えられる。狼は犬科の動物だが家畜化できない。群れで行動し、狩りをおこなう。感情が豊かだといわれている。強さや共謀性と孤高、心的つながりという面での暖かさの2面のイメージを持つ動物。狼男と人間の女性の間に生まれた、雨(弟)と雪(姉)の成長と親離れを描いたアニメ。人間でありながら狼という描写は、社会性を保ちながらも、その社会にさらすことのできない凶暴性や寂しさ、背負った運命との共存が描かれている。隠そうと思っても隠し切れず振り回されながらも成長する姉の雪と、逆に社会性を捨て、姉が捨てようと必死になる自分の本質を生きようとする弟の対称性が面白い。この社会にさらせない部分を無意識と捉えることもできる。この無意識とどう向き合うか?正解はないんだと思うと同時に、逃げないことだけが正解なんだなとも思う。

細田守の映画好きです!

出だしの続き。。。

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