心理学で考える なぜ「形(型)」が大切だというのか?

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頭の中はワイワイ忙しいのに、体の動きは思いっきり単調な日々を過ごしている。単調といっても歩いているし、外出しているし、運動もしているし。。。まあしいて言えば、人と話す機会が会社勤めの方にくらべると圧倒的に少ない。飲みに行くこともほとんどない。友達も少ないので誘われることもない。孤独なのかなあ。。。

目次

  1. イントロダクション
  2. 今日のテーマ
  3. それぞれについての解説
  4. 再度ポイントのまとめ
  5. カウンセリングの現場では・・・
  6. 逆説的考察
  7. 映画で考える心理学
  8. エンディング

今日のテーマ

  1. 中身と形どちらが大切か?の質問の真意が理解できます
  2. 型を身に着けると、楽だということがわかります

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一見面倒くさいことの繰り返しが、もっとも効率的!?

それぞれについての解説

  1. 内容(中身)が大切か?形(型)が大切か?
  2. 坂口尚の「あっかんべェ一休」
    というマンガがあります。これはみなさんご存じの一休さんの一生を描いたもので、一休宗純が後小松天皇の庶子として誕生してから、安国寺での修行、華叟宗曇(かそうそうどん)の下での修行中に悟りを開き、以降は寺に特に属することなく自由奔放に室町時代(貨幣経済が町に浸透するも、政情は不安定だった。金と暴力の時代で、不安が蔓延していた)を生きる姿(そういった時代の暗さや欲に惑わされずに楽しむ姿)を描いた話です。ここで仏教の教えてとして、仏教の知識をいくら増やしても何も意味はない。僧侶にも寺にもいろんな位と地位があるが、何も意味がない。大切なのは形ではなく中身だ。ということを教える師匠と、華叟宗曇のように、坐り方や日々の過ごし方といった型をとにかく重視し、それを教えとする師匠が登場します。いったいどちらが正しいのでしょうか?


    一休宗純の一生涯を描いた。作者はこの作品を最後に亡くなったという。

    中身が大事だというのは、学校教育や世間一般の道徳観から来ているように思います。でも道徳になった瞬間、ほとんどの人にとっては、
    「あー、その話知っているよー、聞いたことがあるよー」
    「いまさら、聞かなくても、なんども聞いたことがあるよー」
    と、もうお腹一杯ですから、それは食べたくありません。というやんわり拒否反応を示すのではないでしょうか?
    じゃあなぜ拒否をするのか?それは痛いところをついているからです。痛いところとは?それは
    「やらなければならないことをやっていないという現実を突きつけてくるから」
    つまり、中身が大事というのは誰もが理解しているのことなのに、誰もができていないことなのです。
    「中身が大事」ということを知っていても何の意味もないことがわかります。

    ここで「型」というものが出てきます。日本には「道」というものがあります。華道、書道、柔道、剣道。そして、この「道」をされているかたはご存じのとおり、そこには必ず「型」があります。型は手続きと言い換えられると思います。手続きとは、まずAをやって、Bをやって、Cをやって、Aをやるときは体のこの部分はこうで、Bのときはこう、Cではこう、という具体的なプロセスのことです。確かに型に気持ちはこもっていませんし、第一気持ちを込める余裕は最初はありません。ひたすら手続きを覚えるために、何度も何度も繰り返すことだけです。そしてこれを繰り返すうちに、自動で何も考えないうちにできるようになります。型をマスターすると、ある特定の状況になったとき、自動的に体が動くようになるのです。パブロブの犬がベルの音を聞いたらよだれがでるようになったように、右ストレートパンチが来たら体が勝手によけると同時に攻撃を仕掛けるようになるのです。

    型はマスターするまでが一苦労ですが、マスターしてしまうとあとがとても楽です。何も考えなくても、特定の信号を自分自身に送るだけで、あとは自動でやれるからです。これやるの大変だなー。あっちの方が楽しそうだな。あれが心配で手が付けられない。悲しくて何も考えられない。そんなこと関係ありません。体は勝手に反応してくれます。

    もういちど中身の話に戻ります。中身というと、
    1.心の持ち様、
    2.真の実力
    の2つの意味があると思います。
    真の実力という面で言っても、型を使ってそれを身につける方が、とってもめんどくさいように見えて実は最短距離での習得方法だということができます。だって、ごちゃごちゃ考えずに習得体得に向けてやるだけだから。そして一旦習得すると、それ以降は自分のムードとかお構いなしに自動でできるというメリットまでついてきます。1については賛否はあると思いますが、心がいくら清らかでも、相手を思っての発想であったとしても、思っているだけで実力は手に入りません。むしろできるようになって初めて1が問われるのではないでしょうか?ですから、2を手に入れることを考えると、1は一旦棚上げしたほうがいいのではと私は思っています。

    型を正確に1日も早く習得するコツは、
    1.失敗すること、
    2.失敗を認識すること、
    3.そしてその差を修正すること、
    これを毎日繰り返すことです。心が正しかどうかは関係ありません。むしろ心のもちようは邪魔なのかもしれません。相手に対して心を込めることでさえも、相手には行動しか見えないのだから、それも実は気の持ちようではなく型なのかもしれませんね。よく型を習うのに「無心でやれ」っていいますし。

    形から入る意味はこう考えても十分にあるのです。

再度ポイントのまとめ

  1. 「中身」が大切というときの落とし穴は、現実と直面するからわかったことにしてしまうこと
  2. 「型」をマスターすると自動的に高度なことを、自分の状態がどうであれこなせる。人生が楽になる

カウンセリングの現場では

何かをマスターしたい。習慣化したいという人に対してのアドバイスや、今後の行動表の作成などをお手伝いします。この鉛筆を持ったら勉強のスイッチが入るとか、部屋のこの場所にこういう姿勢で座ったら英語の勉強が始まるとか。1時間は継続するとか、10pは毎日やるとか。とにかくロボットになることなのですが、ロボットになるという表現をつかうと、自分の心を無視された気になる人も多いので、そこは難しいところです。

逆張りを考える

今日の議論でいくと、道徳というのはものすごく難しいと思います。道徳の悪いところは、おそらく押しつけがましいところかもしれません。どこかでうんざりしているんですよね、我々は。わかったつもりで終わらせてくれ!っていうのがほとんどの人にとっての道徳の意味合いかもしれません。道徳の存在を否定はしませんし、私自身もっと社会にモラルのある人が増えてほしいと日々切に思ってます。ですが、道徳がかえって考えるということを妨害しているのも事実です。

映画で考える心理学

みんなの学校

関西テレビの作ったドキュメンタリー映画で、大阪市の住吉区にある設立7年目の小学校の話。この小学校は障害児や問題児と一般の生徒を区別せず同じクラスで教えるのが特徴。映画を通じて1人の内的外的問題を担任の先生だけでなく、何人もの先生、そして先生だけでなく地域のボランティアを含めて社会として支えていく体制が描かれている。でも一番大事なのは、この一般に問題児扱いされる子供を通じて、取り巻いている人が著しく人間的に成長していくさまだと思う。校長先生の高度な人間性にすごさを感じた。この人としての影響力(真似したい人がでてきて、真似する様になり、できるようになる)組織論やリーダーシップの観点から見てもものすごくためになる一本。

出だしの続き。。。

でも、思った。「型」の習得を意識しだしてからは、毎日が忙しい。あんまり考えないでもくもくとやる時間も日も増えた。孤独を感じる時間は確実に減っている。これも座禅や瞑想と一緒だからなのかもしれない。だって、瞑想って考えないってことでしょ。仕事も没頭しているときって考えていないものね。手足は動いているけどさぁ。。。仕事が瞑想になったら人生勝ちなのかもしれない。。。そう慰めつつ仕事するのであった。。。(なんせ書き続けるって本当に単調な作業なのよー)

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