目次
- イントロダクション
- 今日のテーマ
- それぞれについての解説
- 再度ポイントのまとめ
- カウンセリングの現場では・・・
- 逆説的考察
- 映画で考える心理学
- エンディング
今日のテーマ
- 物事をするにあたり強い意志はまやかしであり不要です。
- それよりも型を身に着けましょう
- 強い意志が必要なのは、その型にとりかかる1分間ぐらいです。
それぞれについての解説
- 強い心は邪魔
- 1分だけ持続する強い意志があればいい
- あとはひたすら型にはめるだけ
「強い意志を持て!」ってよく言われませんか?
なんだか「強い意志」を持っていることって素晴らしいことのように思えます。学校教育とか道徳のおかげなんでしょうね。強い意志を持てば、怠けることもなく、嫌なこともこなすようになる。そういう信仰が普及しているのでしょうか?でも道徳になっている時点で疑ってかからないといけないですね。というのもそうなっているっていうことは、ほとんどの人はそんなもの持てないし持っていないということですから。簡単にひょいっとできないから道徳なんですよね。そして、だから、どっかの誰かが他人に強要したのでしょうね?「お前強い意志を持てよ!」って。俺持ってないからお前持てよ!」って。なんで強い意志ってみな持てないのでしょう?答えは簡単で無意識がブレーキをかけているから。やりたくない!って本気で思っているから、どんなに意思の力でアクセル全開にしても、それだけブレーキを無意識側で踏んでしまうからです。車でやると、ものすごい排気ガスとブレーキディスクやタイヤが消耗され、ガソリンが減っていくでしょう。そして、車は元の位置のまま。。。実は体も同じです。強い意志を持とうと思えば思うほど、ブレーキがかかり、気づくとエネルギーを消耗していてヘトヘトになってしまうわけです。だいたいやりたいことっていうのは無意識が勝手にやってますよね。手を付けないということは無意識はやりたくないわけで、意思の力でそれを克服しようというのは浅はかすぎるわけです。「強い意志を持て」は、「やらないといけないけどやりたくありません。やりたくないけどやらないといけません。なので気合を入れました!」程度のことなんです。
そんな無意識くんを説得するのはあなたの意思ではありません。型です。型とは決まった外部刺激を与えることです。無意識のスイッチを入れるためのものと思ってもいいでしょう。決まった外部刺激とは、決まった時間に決まった場所で決まった格好で、パソコンをたたく、鉛筆を持つなどといった決まった行為をするということです。そしてその型に入る準備をするための意思だけを持てばいいのです。型に関する解説は以下をお読みください。
無意識は訓練によってのみ、あなたの希望に近い形で振る舞ってくれます。そしてさらに良いのは、それが自動的であるということろです。あなたが疲れようが、落ち込もうが、スランプになろうがこなすことができるでしょう。また、それは車の運転と同じようなもので、別のことを考えながら、その作業や訓練をこなすことも可能となるのです。「強い心!」のような過剰な瞬間的エネルギーをもってしてこなすのではなく、淡々と同じことを飽きもせずにと周りに言われるぐらい如何に馬鹿正直に繰り返せるのか?こちらの方が人生にとっては大切なことだと思います。
再度ポイントのまとめ
- 強い意志!と言っているときは、やりたくないブレーキ全開状態
- それよりも型を大切にしましょう
- 1分持つ強い意志を使って型の準備をしよう
カウンセリングの現場では
「強い意志を持て!」と自分に行ってしまうような人は、自分の中にある「べき」先生(お前は○○すべきだ!とすぐいう先生。あなたの親そのものがそのまま出現していることが多い)に縛られて、彼(彼女)のせいで自分を受け入れることも、許すことも、癒すことも、励ますこともできず、ただ自分をさげすみ、自己を尊重できない状態である人であることが多いのです。そんな強要してまでこなす、やらなければいけないこと(やるべきこと)よりも、やるたいことを一緒に探すお手伝いになることが多いです。本当にやりたいことが見つかれば、強い意思を持つ必要もなく行動しているはずですからね。
逆張りを考える
私のひねくれている生き方のせいか?コンテンツそのものが逆張りになっているケースばかりになってきた。なのでこの「逆張りを考える」で書かなければならない(うっ、無意識に強要している自分がいる)のは、「強い意志を持つ」の正当性だ。一般的に社会的に正しく議論の余地がないようなこの言葉の正当性を書いて面白いのだろうか?そう、通常全く面白くない。生徒の9割が寝ているあの人気もなく受験にも必要のない高校の授業のように。このコーナー廃止か改変しようかなと思ってしまう。ま、ここまできちんと読んでくださった方には意味があるかなとも思うので書いてみる。私は「強い意志を持とう!」と思った瞬間に、「これはやばい!」と思うようにしている。つまりやりたくないと無意識が言っている合図に気付く瞬間なのだ。その自分の無意識からのメッセージ(世間一般には正直な気持ちとでもいうのかな?)に気づくことが重要だと思っている。そしてそれでもやらないといけないことは社会生活をする上で当然あるので、次に1分間の強要タイムに入るようにしている。つまり自動スイッチを入れるプロセスに入るのだ。このコーナーの執筆の場合、パソコンを開き、電源をいれ、ネットにつなげて、必要なソフトウエアを立ち上げ、さらに数行決まった形式で言葉をタイピングするところまでを強要している。これで通常は自動的に書き始め、「強い力」が不要(意識しなくてもよくなる)のだ。
映画で考える心理学
ドラゴン桜
原作は漫画。東大受験対策を客観的かつロジカルに分析してあるが、細かいノウハウ本ではなく、人生そのものにたいしてどういう戦略を持ち、戦術を持って対応するのか?という観点から描かれているので、大学生以降の成人の実生活にも応用が利く。最低偏差値の学校に通う生徒2人が東大を目指すというのがテーマで、最初は勉強することが全く習慣になっていない彼らが、それを取り入れる話がでてくる。彼らのやったことは、①学校に行き、自分の席に着く、②決められた時間(朝6時)に学校に行く、③最初に席に着いたら計算問題の小テストをやる、だった。これが当たり前の型となり、1日のスイッチが入るようになっていく。そして、次々にテクニックが出てくるけど、これも行ってみれば型。つまり四の五の言ったり考えたりする意味は試験当日の現場に置いてはないから、自動的に反射的に体がするように徹底的に訓練をし、身に着けるということだ。例えば、理科が二科目あったらどっちから回答するのかを決めるとか。一見どうでもいいことのように見えるが、いつもの通りにやることでリズムが出てくる。そう、型とリズムが必要であることも教えてくれる。
こちらは原作の漫画。実践ができるようになってから思いは考えればよい、それまではひたすらロボット。その価値観の意味を教えてくれる。
出だしの続き。。。
答えはかき氷。妻がおすすめだというかき氷屋に行ってみた。そこはフレンチカントリーぽいお店で、小さいながらもそれが可愛さになっていて、フレンチカントリーの純朴さ(アンティーク調な暗めの色の木材と白の漆喰)とうまくマッチングしているおしゃれな店舗だった。販売かきごおりのみ。正直こんなに大量の氷が一人で食えるかと思った。ところが口に入れてビックリ。冷たくないのだ。ものすごくふわふわしているし、冷たくてキーンとなるあの感覚がない。しかも食べていく中でものすごい勢いで小さくなっていく。ああ、これは空気をうまい具合に混ぜこんだ氷を使い、さらにかくときに空気を混ぜ込んでこの大きさにしているのだなと思った。空気が売れるのだ。価値がつけば。