いい天気になるとどうしても外に出かけたくなる。逆に出かけないとイライラする。出かけるといっても街に出たいわけではなく、緑があるところを散歩したい。5月だからそう思うのだろうか?でも俺7月でも12月でも関係なく散歩しているな。歩くのが好きだからしょうがないのだけど。さて、みなさんはこの歩いている間に何をしたり考えたりしていますか?
目次
- イントロダクション
- 今日のテーマ
- それぞれについての解説
- 再度ポイントのまとめ
- カウンセリングの現場では・・・
- 逆説的考察
- 映画で考える心理学
- エンディング
今日のテーマ
- 相談したほうが、自分の考えがより相対化します
- 相談したほうが、より自分の気持ちがわかります
- 相談しようと決めると、解決のための具体的行動をするようになります
それぞれについての解説
- 自己を相対化できる
- 身体感覚と対話できる
- 相談するには、「相談することを決める」という覚悟が決まるプロセスが隠されている
相談するということは、しゃべることです。それも脈略のないトークではなく、まず、相手がいる以上きちんと説明しなければなりません。きちんと説明するために筋を通そうと人間は自動的にします。ですから、筋が通っていないとには違和感を感じて、情報を補完したり、削除したりして、きちんとしたストーリーをつくろうとするのです。その際に、これまでの自分の考えが、論理的に矛盾していたり、破たんしていたりとおかしければ、それ気づけます。また、言葉にしてしまった後でも、相談された側はもちろん、相談した側も、自分はそう考えていたんだなと、自分の脳ミソでの思考を、自分の感情と切り離して冷静に眺めることができます。もちろん相談された側のレベルが高ければ、適切なフィードバックや気づきを、効果的に得ることもできます。
相談すると、今まで頭の中でグルグル回っていた自己内会話が、声になります。
この声に出すのは非常に重要で、実はその声は脳みそが聞いていて、そのしゃべった内容について、身体的違和感があることがあります。
「ああ、こう思っていたけど、俺の体はそうは思っていなかった」
「それは頭が必死に言い聞かせていたことで、体はやりたくないと言っているんだな」
などということが、身体反応にしっかり耳を傾けられる人であれば通常わかります。
実は、こういった相談を実際にするまえに、誰々さんに相談するということを決めているタイミングがあります。相談すると決めることにより、メールやLineで話しかける、電話をかける、またはアポをとるという行動につながります。相談相手はできる限り、敷居の高い人、つまりおいそれと簡単に連絡を取れたり、気軽にあったりができない相手が良いです。また、会う日時を決めて、実際にあったほうが効果的です。理由は、メールやLINEでチャットする相手というのは、気軽・手軽すぎて、相談が単なる負のエネルギーの発散で終わってしまうからです。つまり問題の根源は解決していないので、また負のエネルギーが蓄積し、不安や不満がたまる状態を繰り返すことになります。逆に敷居が高く、時間を取ってわざわざ話を聞いてくれるとなると、覚悟が自動的に決まります。また相談するまでに、相手の時間を無駄にしないためにも、きちんと相談内容を整理しようと思ったり、ある程度ましな状況にしておきたいという欲が出てきて、解決のためにあれこれ具体的な行動を始めたりします。つまり問題解決のために重い腰が上がるのです。
再度ポイントのまとめ
- 脳の中でグルグルしていた情報が相対化して、今の感情と切り離して見えるようになります
- 脳の中でグルグルしていた情報についての、体の反応(意見)を知ることができます
- 相談することを決めるだけで、解決へ行動する覚悟が決まり、体が動きだします。
ただし、くれぐれもおいそれと相談できないような人に相談してください。気軽な相手では覚悟が決まらず、愚痴って終わりです。
カウンセリングの現場では
あなたと私が見知らぬ関係であることで、効果が高まるのはこういうことが背景にあるからです。もちろん来てからもその大変さをとうとうと表現される方もいらっしゃいますが、アポイントを入れたとたんに、気持ちがらくになったんですよ~という話も同じくらいよくあります。私でなくても結構ですし、プロの心理カウンセラーでなくても結構です。とにかく気軽でなく、敷居の高さを多少感じる人に相談をしましょう。
逆張りを考える
相談をしない=一人で考えて行動する。素晴らしい言葉だと思います。それができるなら越したことはないですよね。でも実社会は、一人で決めて、最終的な責任を自分で取る必要はありますが、アイディアは別に自分のものである必要はありません。特に人はうまくいっていないときは、今までやったことのない発想、ものの見方、そして行動が必要となるのですが、それは一人で考えることによって出てきません。過去の成功パターンではどうにもならない状況だからです。外部に意見を求めて、全く違った経験や生き方をしている人の意見を参考にした方がいいに決まっています。相談をすることは、世間的にはかっこ悪いし、嫌な現実を突きつけられるかもしれないという意味で、恐怖ではありますが、意味があることだと思います。うまくいっている人ほどきちんとした相談相手を持っていますね。
映画で考える心理学
善き人のためのソナタ
西ドイツに東ドイツで自殺が多い事実を公表しようとするライターとそれを盗聴し逮捕しようとする秘密警察員の実話がベースの映画。孤独な身でなんの楽しみもなく淡々と作業をするのみの秘密警察員は、美人の女優と同棲するライターに対して盗聴するのが仕事。その彼の生き方に嫉妬心を抱いていくが、彼女が女優であるゆえの役の欲しさに国家側につき、彼を裏切ろうとする。この秘密警察員はこのライターに同情し、その証拠品を彼の家にしのびこんで、強制捜査の前に隠してしまう。嫉妬心は敵意であり、それは誰かに対して発散されるべくエネルギーを持っているのだが、その嫉妬心が消えるのは、彼はそれ以上に自分の国家に対して敵意を持っていて、それに歯向かおうとするライターに同情し、またそのヒーロー的な部分と自分を同一視したかったからなのだと個人的には思う。彼女の裏切りで一気にライターへの嫉妬は消え、彼の勇気と、彼の芸術に対する理解や生き生きとした生き方を否定する国家の存在が一気に顕在化し、同時にライターの運命が自分の手にゆだねられたとき、自分の人生でなくライターを助けることを選んでいる。嫉妬の中にあったライターへの敵意が、ライターの所有していたもの(美女と芸術家という自由な生活)が消えた瞬間、その敵意は国家と裏切りをした女優に切り替わるのが面白い。本質的な問題に気づいた瞬間ともいえるけど。敵意は根源をかまわないと消えない。つまり常に相手を探しているようだ。
淡々とした描写がリアリズムに拍車をかけますね。
出だしの続き。。。
私は音楽ではなく音声コンテンツ(小説とか論文を音声化したもの)を聞いたり、文庫本を読みながら歩いたりしている。でもこれは目的が決まった歩きつまり移動のとき。できるだけ目的のない歩きをしたい。それこそ歩くことそのものが目的であり、ただ楽しいから以外の意味はない。でも意味のない目的が一番体が欲しているんだよな~。意味を持つと意味がなくなる。あーまた一見矛盾に見える真理がここにもあったように思う。