梅雨入りしたらしい。でも今日はいい天気。うちの高性能目覚まし(息子)は今日も元気に4時過ぎになる。起きるまでとにかく容赦なく、音(あーあーあーという大きな声)と振動(目や鼻を小さい手で思いっきりつかむ!づつきを食らわす)を与える。だれか借りたい人います?
目次
- イントロダクション
- 今日のテーマ
- それぞれについての解説
- 再度ポイントのまとめ
- カウンセリングの現場では・・・
- 逆説的考察
- 映画で考える心理学
- エンディング
今日のテーマ
- 信用と信頼の違いを知る
- このことばを「発する」意味を知る
- これらのことばの冷たさと温かさを感じる
それぞれについての解説
- 信用
- 信頼
- 「信用」と「信頼」2つの比較で見えてくるもの
漢字は読んで字のごとく、信を用いると書く。
つまり信じることを用いて、何かをしようとする意図があり、信そのものは取り扱うモノ(対象物)としてとらえている。モノとして捉えるということは、同時にとらえている人を出現させる構造になっているから、私やあなたが、信を捉え、なにかやどこかで使おうとしている、状態だといえる。そして、信を用いる(使う)ということを相手に伝えようとする意思というのは、ある意味脅しが含まれていると思います。俺の中に蓄積する「信」をお前は減らしたりしないよな?という脅しです。
「お金をお前に貸すよ!信用しているからな!」
(私の中で蓄積された「お前は約束を守るということを俺が信じているという事」、これを使いますよ!これ減らされたくなかったら返せよな!)
本当に信じていたら、信用しているとわざわざ言語化し、相手の意識上に「俺の中に蓄積する「信」をお前は減らしたりしないよな?」ということを置くようなことはしないからです。
「○○さんは納期を守る人だって信用しています。」
(私の中で蓄積された「○○さんは一般常識があるということを俺が信じているという事」、これを使いますよ!これ減らされたくなかったら納期守れよな!)
本当に信じていたら、言わなくてもいいですよね。本当に信じている人に、あなたを信じていますとあなたはいいますか?信じているというのは、あなたを信じきれない。信じることが不安だといっているのです。「納期は○月○日の○時。大変だろうけどよろしく頼むよ!」でいいのでしょうが、不安がいわせちゃうんでしょうね、「あなたを信頼しています」って。笑
同じ信じるでも、信頼はどうでしょうか?
漢字では信じ頼ると書きます。
相手を信じるだけでなく、身や心を預けるまでを意味しています。この場合は信用と違い対象物を意識することが文字と連動していません。あくまで自分の心情を表現したものです。あえて言えば、じゃあ誰(何)を?というものが次に想起されるぐらいでしょう。信じゆだねることといってもいいでしょう。そしてのこの心情というのは一時的な感情や状態をのべたものではありません。常にある状態(Being)をさした言葉です。
「お金をお前に貸すよ!信用しているからな!」
「お金をお前に貸すよ!信頼しているからな!」
を比べた場合、前者がすっきりするのは、お金は貸すというのは、全部を相手にゆだねることではなく、信を用いた取引だからです。
「○○さんは納期を守る人だって信用しています。」
「○○さんは納期を守る人だって信頼しています。」
の比較ではどうでしょうか?こちらも仕事だから、信を用いた取引という意味で、上の方がしっくりくるのではないでしょうか?
「私はあの親友を信用しきっている」
「私はあの親友を信頼しきっている」
この場合下の方がしっくりくるのではないでしょうか?
信用の方が、信頼よりも相手にも自分にも裏切らないということへのプレッシャーを若干感じるのに対して、信頼は暖かさやゆるさ、を感じるのではないでしょうか?
この二つを声に出して読んだときの、自分の筋肉反応を比べてみるのも面白いかもしれません。
疑うことのない関係がわかるのではないでしょうか?
続く動詞からもそうですよね。信用に続くのは「用いる」とかです。用いるというのはDoing、使うものです。
一方で、信頼は「置く」もの、そこにいるだけでいいもの、存在そのもの(Being)に意味があるものです。
「あの人の情報には全面的な信頼を置いている」
再度ポイントのまとめ
- 信用とは信じているという貯金を使うということ。
- 信頼は信じゆだねている状態を指す
- 信用は厳しさ、信頼は暖かさが入っている
ちなみに信用という言葉を発するのは相手を信じていないから。
カウンセリングの現場では
似ていて非なる言葉、普段は使い分けを意識的にしていない類語というのは沢山あります。この区別をする意味は「しっくりくる」言葉に敏感になるためです。感情のエネルギーというのはもやもやしていて、意識にのぼってこないものも多いのです。このもやもやに名前がつくことで一気に意識上に放出させることができます。よく友達や同僚、家族が言ったことに対して「それだよそれ!」っていうことはありませんか?それを探すためのキーワードは多い方がいいわけです。たとえば、今あなたが抱えているのは不満ですか?それとも不安?といった具合に。
逆張りを考える
「信用」も「信頼」も、そのように本気で思っていたら言語としておそらく相手に伝えない言葉だと思います。通常、相手を信頼もしくは信用しているのであれば、そのような抽象概念語を使うのでなく、もっと具体的に
「貸したお金はいつ返してくれてもいいから!」(すぐ彼は返してくれる人だ)
「できるだけ早くやってくれればいいよ!」(彼はすぐとりかかる人だ)
というでしょう。というわけで私には「感謝しています!」とかいうブログを見ると胡散臭く思ってしまいます。おじさんになったのかなあ。。。
映画で考える心理学
インターステラ
クリストファー・ノーランの描いた近未来の話。地球が住む惑星として適さなくなってきており、全人類の移住先を探しに行くという話。話の大枠そのものは使う古されたパターンのように聞こえるが、その世界観は物理の中でも重力や時間概念の専門家が作成チームに入っているだけあって説得力があり、映像も壮大な宇宙を描いているのにCGを使っていないという。2001年宇宙の旅に近い感動を覚える。この映画は宇宙の神秘や人類とは何かというテーマ以外にも、家族がテーマにある。この家族のコミュニケーションはお母さんが不在で、寡黙な情熱家が父なので、言語による会話はほとんどない。でも親子間のコミュニケーションは言語以外の要素による心の通い合いが大きなパーツを占めることを感じられる。事件や出来事、物や興味あることを通じ、たとえ会話にはそのことしかなくても、心は通い合える。そんなことも気づかせてくれる作品。宇宙という壮大なテーマとセットで個の心を描いており、その差のインパクトから感じられることも多々。
氷と水の星の撮影はアイスランドまで行って撮ったという。
リアリズムの追求がすご過ぎ!
出だしの続き。。。
て、無理してでも起きると朝日がここちよい。ユングはあるアフリカの部族が朝日が神だといった話をした。それは朝日=神ということでなく、おそらく朝日を浴びるという経験のなかで湧き上がる感情や身体感覚というものが神そのものだといった。ま、神かどうかわからないけど、体にはよさそうだ。というわけでもう一度お尋ねしますけど、借りませんか?