北陸新幹線に初めて乗る。北陸だからシートは暖色系。。。だが、いくら北陸とはいえ、夏に暖色系はつらいな。かえって暑苦しい。窓の外は北アルプスが見えるので、車外に視線がいけばすがすがしさを感じられる。この時期にこちらに来られてよかった。とはいえ、トンネルだらけなのでWiFiは切れっぱなし。高崎へ出るまではネットで仕事は難しい。社内にもネットは飛んでいなかった。それにしても周りをみるとシニアの方ばかり。仕事する人がすくないからそういう要望がないのかな?それより若い人どこいったよ?と窓の外に目をやると、やたら新築の家が目に入る。。。
目次
- イントロダクション
- 今日のテーマ
- それぞれについての解説
- 再度ポイントのまとめ
- カウンセリングの現場では・・・
- 逆説的考察
- 映画で考える心理学
- エンディング
今日のテーマ
- 人間が避けたい事実と直面したとき、どういうパターンを取るか知ることができます
- それにより、自分が何を避けているのか、知ることができるようになります
嫌なものは避けたい。でも避けているから問題って解決しないんだよねぇー。。。
それぞれについての解説
- 自身が傷つくのをさけるべき、ほとんど自動的に行っている反応
- 別の話題に切り替える、すり替える
- 言い訳する、説明する、説明がやたら長い
- 質問する
- 黙る
- したがったふりをする
- 考え続ける
- 自分はえらいと思う
- 現実を捻じ曲げて解釈する
- 固執する、固着する
- その場から立ち去る
- 肝心なのは、自分がこうしているときに避けているものは何か?ということ。
典型的な防衛パターンの一つです。
仕事の遅れの理由を聞いているのに、昨日のドラマの話を振ってくるとか。
そういえば、あなた、パスタが好きだったよね?新しいお店が・・・とか。
典型的なので相手がしても、自分でやってしまっても気づくのではないでしょうか?
「そういえば」
理由をいろいろ述べるというのも防衛反応です。
なぜできなかったのかを説明するというのは、できなかった責任を回避しています。
例えば、仕事の進捗が遅くなっている説明が、
A:それはこういう理由で遅れていますなぜならこういう問題があったからです。
B:こういう理由で遅れていますので、こういう対処をしていて、今日中には完了する見込みです。
とあった場合、Aの言いたいことは、「だから俺のせいじゃありません」です。
「これは特殊なケースだ」
「そうは言っても・・・」
意外に思えるかもしれませんが相手に質問をするのも自己防衛手段の一種です。
質問をすることで、本質を理解しようとしていることももちろんありますが、自分がしゃべらなくてもよい状況をつくるためにする質問もあります。質問することで、自分をさらけ出さなくてもよくなるからです。
「なぜ?」
言いたいことを我慢する。
今思い浮かんだことは、相手に伝える必要がないこと。あるいはこの場にあっていないこと。あるいは空気とあっていない。またはあとで個別に伝えればいい。などと自分に言い聞かせ、お利口さんでいようとおもうのも一種の自己防衛です。
なるほど、確かにそうですね。そうですよね。相手に対して肯定的な態度ばかりを取る。肯定的な情報ばかり提供する。全面的にYesという。こうしておけば自分が攻撃されたり、口論になって負けたりすることはありません。
考えるというのも2つの種類があります。結論が出るように検討している場合と、ただ決断をしたくなくて悩むという場合です。決断すると行動しないといけないですし、行動すると結果が出ます。失敗することもありえますし、決断すると残りの選択肢はすべて消えてしまいますので、こういったことに直面したくないのです。ですので、決断を避けるべく、ああでもないこうでもないと考え続け、決断しません。
相手が馬鹿だと思うことで自分の存在を高貴なものと捉え、馬鹿の言っているたわごとだと、相手が言っている真実や、聞きたくない現実から距離を置こうとします。
「認知不協和」とも言います。現実に起こっていることが自分の信念と大きくことなる状態のことを指します。そして人間はこれが起こった時、恐ろしいことに、自分の信念ではなく事実を捻じ曲げます。例えば、終末論を唱えていた宗教家が、滅びる日になにも起きなかった場合、その予言が外れていたとは思わず、自分たちが神に祈ったから滅びずに救われた。と考えるのは典型的な例です。
これも上記の「認知不協和」が原因で起こっている可能性がありますね。
その話題に直面するのが不快なので、その場から立ち去るというのもあります。立ち去れば聞く必要もないし、質問されることもないですから。立ち去れない場合でも、体の向きをそらせたり、顔をそらせたり、下を向いたり、目線をそらしたりというのはよくあるパターンです。
ああ、○○さんはよくこれをやるな。内の旦那さんこれだな。って思ったのではないでしょうか?
ですが、大事なのはあなたがこれをやっているかどうかです。
そしていつも問題になるのが、あなたがこれを気づくことなく、自動反応で行っているときです。
そこには、あなたの気づいていない「どうしても避けたいこと」が隠されています。
そして、それが日々の悩みごとの根本の原因や元凶であることがほとんどです。
逆にいうとそれに気づくことが、その大きな問題の解決の第一歩といえるのです。
さあ、がんばって気づいてみましょう。
再度ポイントのまとめ
- 人間の防衛反応のパターンがいろいろある
- 自分が避けていることに気付くのが大切/li>
カウンセリングの現場では
あなたが他のクライアントの方と私のカウンセリングを見る機会があるとすれば、とにかくクライアントさんが問題から逃げまくっていることを目にすることができると思います。同じところをグルグル回るわけです。それだけ問題に直面することを回避したいという人間のエネルギー(抵抗)が大きいということです。ところが当事者になるとそれが見えません。これが問題です。こういったことを相対的に見えるようになるように導くのが私の仕事ですが、答えは自分で見つけないと意味がありません。指摘せずして気づいてもらうことが私の仕事の醍醐味だといえます。(ここに書いてしまうとカウンセリング効果がなくなってしまうので割愛しますね)
逆張りを考える
人間は見たくない現実を見ないために、膨大なエネルギーを使って、抑え込んでいる生き物なんだといつも思います。そして、これと併せて時間というものが限られていることに気付けると、なんてもったいない人生を歩んでいるのだろう。ということに気づきます。この瞬間から、見たくないものを直視した方が、実は幸せに生きられることに気づけるのです。ですが、時間が有限だ!若くても年老いても、死に全速力で向かっているのだ!といってもそれが知識であるかぎりなんの働きも頭の中で起こしません。意味がないのです。40歳を過ぎるあたりになると、体が昔ほど動かない部分が出始めますが、この年齢あたりから、死の現実感が出てきます。生き生きとした人生を歩んでいない人は、エネルギーが最初からないのではなく、生きるエネルギーがエネルギーを抑えるためにだけ使われているのだろうなと思います。
映画で考える心理学
ゼロの未来
主人公は、自分の存在の意義(人生の意味、存在の意味、生まれてきた意味、一生かけてやること、全部まとめていうと)が外部から与えられると信じ、それに執着しつづけた結果、他の可能性をすべて放棄し時間を無駄にしただけとなり、逆にそんなものに意味がないと、映画の最後で大きく裏切られ、絶望します。一方、その自分の存在意義を探して、それを探す男性に近づくことでその存在意義を見つけ出そうとする彼女。そして、そんなものはないと割り切っているから、楽観的に生きたいように生きている社長の息子。存在意義なんて興味もなく仕事とプライベートをこなす上司。これをジョージ・オーウェルの小説「1984年」をほうふつさせる作りでつくられた未来SF映画。存在意義なんて絶対的価値じゃないんだよなーってあらためて感じさせられた。
出だしの続き。。。
地元に残って地元で働いて、親と一緒にリフォームする家族が多いんだろうなあ。ちょうど子供が30歳で戦後のベビーブームジュニアがこの10年多かったから、こうなったんだろうなあと実感。それも全国規模であったのだなあと。でもこれも30歳に入る人口の減少で減るんだろうな。人口も減って仕事も減った地方に残るのも大変だろうなあと思った。でもおいしい米、水、空気はうらやましすぎる。。。