憧れの人になろうとする・・・には注意が必要ですよ。。。

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©Robert Bejil Photography
新東名を初めて走行。浜松の北部から今の新東名の終点までの間に、手前からずっと谷まで下り、再びその向こうにある山に向かって上ってるが、一直線になっている部分があった。たぶんこの景色って日本ではめずらしいのではないだろうか?アメリカの田舎や、カナダ、北海道の十勝平野ではみたことがあるけど。すごいなと思った。

目次

  1. イントロダクション
  2. 今日のテーマ
  3. それぞれについての解説
  4. 再度ポイントのまとめ
  5. カウンセリングの現場では・・・
  6. 逆説的考察
  7. 映画で考える心理学
  8. エンディング

今日のテーマ

  1. 憧れてその人を真似するとき、こころで何が起こっているかを知ることができます。
  2. 憧れが原因で起こる心のトラブルの種類を知ることができます。
  3. 精神的な健康度が高い人は憧れの人をどう見ているのか知ることができます。

それぞれについての解説

同性でも憧れてしまう人というのは誰にでも一人や二人いるのではないでしょうか?
友人だったり、会社の先輩だったり、サークルの人だったり、芸能人や著名人かもしれません。
ところで、これが憧れの間はよいのですが、その人が羨望の対象となり、尊敬とともにその人のようになりたい!その人に近づきたい!(物理的にでなく人物像に)という欲望とともに、いろいろまねを始めるとき、いろいろ注意しておくことがあります。

  1. 相手と自分を同一視する
  2. これには以下のような動機が隠されていることがあります。
    一つは弱い自分からの逃避です。
    現状において、対応できない現実に直面しているとき、それに対応する手段として、問題が「弱さ」であれば、自分は「強い」と思いこむことがあります。
    あるいは、それほどの問題に直面していないと思っていても、深層心理において、弱い自分というものがあり(100%主観的なものですので、周りの意見は全く関係ありません)、この弱い自分を受け入れたくない!弱い自分は自分ではない!という思いがあると、同じように、他人に自分がなってしまうことにより、この問題を解決しようと無意識が自動的にしていることがあるのです。しかも自動的な反応ですので、ここに、あの人と私は一緒よ!って思いこむという意識もありません。意思の力なくして思いこんでいるのです。自分はきれいでない、頭が悪い、仕事ができない、精神的に弱い、そう思いこんでいると、こういった「同一視」の問題にはまりやすい状態といえます。

  3. 同一視の問題点
  4. 当然ですが、あなたは実際に「強く」なったわけではないので、現実にそこにある課題が解決されたわけでなく、したがって問題が「弱さ」であれば、「弱い」自分はそのままの状態です。ほっておかれた子供が弱く佇んでいるイメージです。自分が「強く」なったイメージが強まれば強まるほど、この現実とのギャップは深まります。大きくなります。その結果ますます、ほっておかれた子供は相対的に弱く見えてしまいます。つまり自分は本当は「弱い」という暗示をどんどん強化しているのです。そして、どんどんこの「ほっておかれた子供」のことが嫌いになっていきます。そして、そこには怒りも伴ってくるのです。その存在の拒否感がますます、「強い」自分を求めます。悪循環が起こります。

    「ほっておかれた子供」つまりあなたの「弱さ」は、勝手に消滅したりせず、ずっと隅に置いて置かれた状態です。しかもいつも黙っているわけではなく、時々顔を出します。それは、「弱さ」を感じさせる人に出会った時です。そしてその人に対して、嫌悪感を抱き、場合によっては怒りを起こしたりするようになります。自分の許せないことをやっている、あるいはそういう状態で相手がいることを、その人に対しても許せないからです。

    そして同一視した相手に対しては、一層親近感が強まります。ですが、相手はそのことを恐らく知りません。相手にこうしてほしいという期待が、こちら側では強まってきます。結果、一般社会人のたしなみとしての個人と個人の距離感がくるってきます。入ってはいけない相手の領域にづかづか入ってしまうわけです。そして、相手は自分の期待に応えてくれません。相手はあなたの親や家族ではないからです。結果、憧れだった対象の人に対しても怒りの感情が湧いてきます。同じように行動しているのに、同じ結果が自分の手元に入ってこないことも気に入りません。なんで私はあなたをこんなに尊敬し、あなたと同じようにやっているのに、私はこれだけしか注目されないの?稼げないの?と思うようになります。最悪の結果、羨望の相手に手を出すことになりかねません。

  5. 精神が健康だとどう考えるか?
  6. 精神が健康である人は、物事を相対的に見ることができます。
    客観性と相対性
    たとえ憧れの人にであっても、その人物について360度から見ることができます。
    素敵に見える人、強く見える人も、それが意図しているのか?見分けられますし、
    あくまでそれはそういう条件がそろった場所に立っているからそう見えるのであって、
    プライベートでパートナーの前でもそうなのか?
    まったく見知らぬ土地で見知らぬ人に対してもそうなのか?
    業界が変わっても、仕事の内容が変わっても、役職が変わってもそうなのか?
    あなたの部下や従業員になってもそうなのか?
    お客さんからみても、その人をお客さんにしている人からみてもそうなのか?
    などいろいろ思考をめぐらす力があります。またフッサールのいう「エポケー」、つまりその場で断定せず一旦保留することができます。

    一つの例として、手塚治虫があると思います。手塚治虫は間違いなく、世界のアニメ界の巨匠であり、エポックメーカーです。同時に何本もマンガを書き、しかも同時にアニメも作っていました。同時に描いていたマンガも、少年向けばかりでなく、女性向けや、青年誌向けも書いていましたし、ジャンルも妖怪、科学、SF、近未来、時代劇、戦争、恋愛、哲学的なものと幅広くこなしていました。間違いなく、世界のトップクラスのクリエーターです。そのベースとなる知識もとても豊富でした。ゲーテのファウストやブッダ、キリスト、ベートーヴェンなどのマンガも書いています。ところが、編集者側からはとても嫌がられていたようです。あまりにも大量の仕事をし、かつさらに新しい企画を拒まなかったために、締め切りを守れない人だったからです。またそれは、彼の完全主義、つまり最後の最後まで最高の話を書こうとして時間一杯までつかってしまうことにも原因があったようです。マンガ、特に週刊誌は、とてもタイトなスケジュールの中印刷工場で何万冊もすられて、全国の書店にトラックで運ばれていました。この製造&流通にかかわる人すべてがその完璧主義の犠牲になったのです。かれにマンガを書いてもらうために、各雑誌社は手塚番という人を設けて、かれの原稿完成を常に見張っていたのですが、彼らは家に何日も変えることができず、離婚に至った人もいたのです。

    また、自分の弱さの存在もきちんとしているし、その存在を許し共存することがきちんとできています。弱さがゆえに無意識が自動的におこなうヘンテコないたずらにも気づくことができ、自分を修正することができます。

    また憧れの人の、それにかける本気度や死ぬほどの努力というものを直視するということも大切です。それは、あなたは表面だけ見て憧れていませんか?表面だけ見て同じになろうとしていませんか?甘い考えでやっていませんか?ということに気づくことができるからです。

    さきほど取り上げた手塚治虫の例として取り上げると、彼の近くで仕事をした人は、彼は上記のような、1分1秒を常に争うタイトな状況の中でも、ブラックジャックの顔の線を2つ書き、最後の1線が決められないて皆に相談したうえでもなお悩みつづけたり、ディズニーのバンビのトレースをして、ペンの練習をしたりとしていたそうです。ほとんど寝ず、家にも帰らず、風呂にも入る時間がない中でのことです。アメリカへの出張中も飛行機の中でマンガを書き続けたそうです。そして、これはおそらく、彼にあこがれ、彼のようになりたい人に対する現実的かつシビアな警鐘です。「自分にここまでのことを本気でやていく覚悟はありますか?」憧れの人をきちんと見るというのは、そういった意味で非常に恐怖です。

再度ポイントのまとめ

  1. 憧れの人と同じになろうとするのは危険
  2. 憧れているものがその人の「強さ」であれば、自分の「弱さ」がどんどん目立ってきます。
    ますます、自分の「本当の姿」が無視されます。
    「弱い」人に対して、嫌悪感を感じるようになります。
    憧れの人に過剰な期待を抱くようになり、プライベートな境界線が見えなくなったり、怒りを感じる様になります。

  3. 健康な人は360度で憧れの人も見る
  4. 見えていない汚い面なども見ようとします。
    そこに達するまでの苦労や努力という見えていない面も見ようとします。

カウンセリングの現場では

憧れの人という点でのご相談というのはあまりありませんが、今ものすごく嫌いな人、嫌悪感を抱く人というのが実はもともとは憧れていた人だったということはよくあることです。逆に、本当は嫌いなのに憧れている人だと言って自分に嘘をついているケースもありますが、これも大元は、嫌いな自分が認められないから、同じものを持っている相手に嫌悪感をいただいています。そして、職場や家族の中の人間関係上それを認めることは大きな問題を伴うために、相手を好きとか素敵とかいって、その場から逃げています。いずれも、こういった動機は隠されていますので、まずはカウンセリングを通して、ご自身の言動が一貫しているのか、矛盾点がないのか、違和感がないのかを一緒にチェックしていき、そのプロセスで、本当に自分自身が考えていること、とらえていること、感じていることを、知ってもらいます。精神の健康度が高い人ほど、早く気付いていきますが、高い人でもこの場に来るまでは気づかない。それぐらい巧妙に真の動機は隠されているのです。

逆張りを考える

憧れの反対は「さげずみ」でしょうか?
過剰に忌み嫌っているケースを考えてみましょう。
どちらも、過剰に相手に対して関心がある。つまり執着している状態だといえます。
こちらは、嫌いで気になって仕方がない。嫌悪感がどんどん湧いてきて止まらないわけです。
これも、原因は隠された自分にあるわけで、相手にはありません。
もちろん、相手のイメージが変われば、この嫌悪感は止まりますが、また同じような人が登場すれば同じようなことが起こります。
ですから、原因は自身に隠された、同様の自分です。
そうすると、反対は「無関心」かな~とも思ったのですが、こちらは意図があって関心をもたないような無意識があるように思えるので、
「へー」ぐらいことばを発しているときが一番中立の時なのだと思います。中立の立場の時が一番物事が見ていると思います。

映画で考える心理学

脳内ポイズンベリー

最近の映画はハッピーエンドが基本ない。
つまり竜の神話でいう、王女さまとの結婚で終わるような物語の構成が内容な気がする
西洋的な神話が無意識の世界で崩壊してしまったのではないかと思う。日本では最初から西洋でいうハッピーはなく、
ハリウッド映画とともに80年代に量産され、日本に怒涛のように押しかけてきたかと思うけど、
今はひっそりで、再び日本の神話に戻っているような気もする。
理由は現実の生きるための問題がたくさん出てきてしまって、ハッピーエンドが受け入れられなくなったのだと思う。
大事件はいらない、心の微細な動きや、日常の些細な部分が大事というテーマの映画が逆に増えた。

「ビリギャル」とかもその典型だと思ったけど、
「脳内ポイズンベリー」は、恋愛と仕事や生きがい、自分らしさで悩む30歳になった女性がテーマだが、
その人の脳の中で行われていることを、会議ととらえ、その会議の内容がメインで、大事件はいらない、心の微細な動きや、日常の些細な部分を扱いつつもやかましく激しい内容を伴っているという点で面白い。真面目な人がこの構造(脳の中の会議)をつかっていろんな作品が登場してくるのもいいなとおもった。

出だしの続き。。。

でも日本の景色で自分の肌に合うのはやっぱり、曲線。うねうねしている坂道ってはた目から見ていても楽しいし、なんとなく落ち着く。おそらく、自然の景色と調和しているからだと思う。直線というのはあまり自然界に存在しないもの。だから大自然にひかれた直線って、厳格さとか強さを感じるし、調和ではなく、道そのものが独立した存在として感じる。それって、父性と母性の違いと同じだ。新東名は男性なのかもしれない。笑

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