新潟県の高田という城下町に来て、地元の板前さんと話をする。数年前の大合併の時に日本海側の直江津市と合併して上越市になった、人口20万人ぐらいの都市。不勉強だったが、新潟県は、京都に近い側から上越、中越、下越と別れ、新潟市は下越に当たるらしい。そして、この高田という街と直江津という街も俺たちはあいつらとは違うという意識があるのだという。高田は城下町で歴史も古い。城下町だから気品があり、直江津は漁港で漁民の町だから優しさもあるけど荒い気質だという。
目次
- イントロダクション
- 今日のテーマ
- それぞれについての解説
- 再度ポイントのまとめ
- カウンセリングの現場では・・・
- 逆説的考察
- 映画で考える心理学
- エンディング
今日のテーマ
- 罪悪感の構造(どっからきたのか?)がわかります。
- 罪悪感は持たなくてもいいです。「あかるい」反省をしましょう。
それぞれについての解説
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罪の意識って?
結局、やったことを罪ととらえるかどうかはその人次第。
その人の道徳的価値観次第。例えば、ゴミを車の窓から捨てて平気な人もいれば、それをしてしまったら猛烈な後悔をして自分を責め続けてしまう人もいます。しかし、それは自分で決めたルールを厳格に運用しているからかといえばそうではありません。むしろなぜそこまで猛烈に反省してしまうのか?猛烈な後悔をしてしまうのか?その苦しみが本人には理解できないケースも多いです。反省にはこういった苦しみは本来ないはずです。反省はきちんとしたチェックであり、そこにネガティブな感情というのは伴わないからです。(ですが、反省、後悔、罪悪感がごっちゃの人も多いかと思いますが・・・)
罪の意識は、親の教育が作り出したものです。それは幼いころに親がうえつけた道徳観で、それを守ることができなかったときに、猛烈な恐怖を体験したり、想像させられたことにあるケースがほとんどです。例えば、ゴミをそのまま車から捨てた時、親が冷静に淡々と叱るのではなく、烈火のごとく怒ったとか、そういうことをすると閻魔さまが地獄につれていくとか(子供が想像するに足る別の恐怖、例えばあの絵がものすごく怖いとか、その恐怖体験と罰の意識をリンクさせるということです)、家から追い出されて、孤独で母親からの愛情が取り上げられた状態を与えられてそれとゴミのポイ捨てがリンクしたとかいうことです。
そして、子供時代は母の愛をものすごく欲し必要としている時期ですので、そういうことをした自分が悪いと自分を責めることにより、その不快な対応をした親を消し、親に再び受け入れてもらおうとします。
ここで自身を責めたふりができる子と、本当に自分が悪いと思う子供に分かれます。それはそれまでの生育の中で、その子を個の存在として、親が扱ってきたかどうかによります。つまり、どんなに怒られても必ず母親が最後は受け入れてくれる、どんな状態やどんなことをしても、私がいるということを褒めてくれる。かたずけができたから愛されるのではなく、かたずけができなくてもあなたがいてくれてお母さんはうれしいと素直に子供に絶えず声をかけるコミュニケーションを、母親が子供に対してしていたということです。
逆にいうと、かたずけないお母さんが愛してくれない、「あなたはいるだけでお母さんは幸せよ」といったように自分の存在そのものは、ほめてもらったことがない、と子供がかんじているようであれば、母親からの承認やほめ言葉や愛情や抱っこを求めて、気に入られるためには今の自分は存在してはいけないと自分を責める子供になっていることでしょう。そして、自分をどんどん攻めてしまう構図が出来上がってしまうのです。
そして、そのリンクが、例えば道端にゴミを捨てるということをすると動き出すのです。ゴミを捨てることが気にもならないのは社会的に大問題だと思います。ですが、ゴミを捨てることで、常に罪の意識という個人的な大問題を内面に発生させてしまうのです。
要は反省すればいいわけです。反省したら、あとは再発防止のためにクリエイティブになりましょう。クリエイティブには心が明るくならないとなれませんから、罪悪感という不快な状態からは脱することになります。
再度ポイントのまとめ
- 罪悪感は親の価値観と罰の与え方からうえつけられた恐怖や不快の追体験
- 親が行為を褒めるひとか存在を褒める人だったのかが影響している
- 罪悪感はいらない。「明るい反省」をすればOK
カウンセリングの現場では
罪悪感というものは過剰な道徳で、その人を縛っています。そしてその人が生きていくエネルギーを奪っています。相談に来られるクライアントさんには、間違った価値観や、過剰な自罰意識に苦しんでおられる方もいらっしゃいます。そしてそのことをに自分ではなかなか気づけず苦しんでおられます。子供時代に催眠状態で戻って当時の様子を再体験をしたのちに、今大人の自分からどう見えるのか、というようなカウンセリングをする方が多いです。体が勝手に自分を不快な状態に陥れてしまうため、そのプログラムを解除するべく、ワークをしたり、自宅でできる宿題を一緒に考えたりもします。
逆張りを考える
罪悪感の効用っていうのはなんなのかな?と考えてみると、支配する側の立場から相手をコントロールしやすいというところだと思いました。ルールを自発的に守ってくれるし、他の人にも、生まれてくる子供たちにもその価値観(こういうことはいいこと、こういうことは間違っていること)を広めてくれます。そしてなにより、考える力や、創意工夫、ロジカルに行動する力、など反抗する力そのものを奪う力を持っているからです。生のエネルギーを自分を責めることをに使ってしまい、生きる力を奪うからです。
映画で考える心理学
キャットピープルの呪い
呪いってどうしてつけてしまったのかって思うファンタシー映画
母親を亡くした父が再婚するが、その新しい母親とうまく親子の関係をつくれない娘が主人公。そこへなくなった母の幽霊が登場し、彼女の友達となる。なくなったお母さんはいろんな幻を見せてくれて、娘は喜ぶ。新しいお母さんは彼女との間にある心の壁を取り払うことがなかなかできずにいる。そんな折近所に魔女の住む家がある噂を聞く。そこには精神的に病んでいる老婆がいて彼女に襲い掛かる。心配でついてきた新しいお母さんは彼女を救い出すと、彼女のとの壁は消え、前母の幽霊も消え去っていた。
母親が何をしたかより、子供がどうとらえているかが大切。前の母が死んだことと父が再婚したという事実を受け入れられないために、主人公は自分にとって心地の良い居場所を想像の世界の中に作っていく。それが自分の命がかかった緊急事態で、新しいお母さんの愛に触れることができ、その愛おしさが生まれた瞬間に、ファンタシーは必要なくなり消滅する。
こういう経験子供時代にないですか?そして大人になってもファンタシーに生きてたりしませんか?
子供の困難への対処や、その子供に拒まれる母親の心情を上手に描いた作品です。。。
出だしの続き。。。
日本人っていう概念がそもそも生まれたのは明治時代。しかもそれは外国が初めて存在を認識できたからだ。だから国家というものは、外の世界との相対関係で存在するに過ぎない。
高田の人にとって直江津はソト。日本人の根本はほんとにウチとソトでできているのだなと思った。