今日から、映画は別コーナーにすることにした。
となると、別にネタを強制的に探さないといけない。
しかも、笑えるけどためになることって意識してしまう。
そんなネタ毎日会った苦労しない。
辛い日々が始まったな。。。
目次
- イントロダクション
- 今日のトピック。実践で何が得られるのか?
- ○○ってなんだっけ?
- 克服するために必要な3つ(7つ)のヒント
- 再度ポイントのまとめ
- カウンセリングの現場では・・・
- 逆説的考察
- 映画で考える心理学
- エンディング
この状況を克服すると何が得られるのか?
- 自分探しという名の妄想にストップをかけます。
- 自分探しの本来の意味を味わえます
それぞれについての解説
- 自分は自分の外にいない
- 自分を探したいという衝動は逃避です
- 外部から与えられた刺激で、うちに湧き起こるもの
自分探しっていうけど、探すという言葉は、探している人(もの)と探されている人(もの)の2つが存在して成立する動詞です。どこか道端に脳みそが落っこちていて、あ!これが私だ!っていって拾い上げて、今ある脳みそを捨て、新しい脳みそをくっつけるのでしょうか?でも、探している自分と探されている自分って、どちらも同じ自分ではないでしょうか?ここにまず矛盾があります。探している人(自分)が今の「自分」であり、この時、探されている人(自分)っていつまでも、対象物であって、探している人(自分)そのものにはなれませんよね。なった時には、探している人も探されている人も消滅します。
この心理に隠されているのは、今の自分が嫌だという自己否定です。
同時に、探している自分の姿が素敵という妄想があります。
自分の否定+探している自分が素敵=逃避
ということになります。
それもと、たくさんの人格の存在を、自分を探している人は認めているっていうことでしょうか?自分の中にいるAが、中にいるかもしれないBを探す?それを自分探しと言っているのでしょうか?これもこいつらは、積極的に探しにいって露呈しない。いろんな経験を通して、その自分の外からの反応として顔を出すことが多いのです。ですが、ほとんどは、無意識の欲求の裏返しに過ぎなかったりするので、注意が必要です。
再度ポイントのまとめ
- 自分は自分の外にいない
- 自分探し=逃避
- 自分は自分の中にいる
カウンセリングの現場では
「自分探し」は躁状態なので、この状態から「自分が見つからない」という不安や焦り、苦しみの状態に進んだ人がカウンセリングにいらっしゃいます。
今まで、どんなことを目指してきたか、挫折してしまったかを見ることにより、その目標を本気で目指したのは本当に自分だったのか?誰かが作り出した価値観や幻想を生きていたのではないかを振り返り、偽の人生観から、本当の自分と出会う体験をしていただくお手伝いをしています。この問題に特効薬はありません。パッと見つけて変わっていく人もいますが、それは熟成期間がきちんと見えないところであり、たまたま私が熟すタイミングで出会うことができたからだと思います。だいたい3か月ぐらいから変わり始め、1年ぐらいかかるのもざらです。焦ることも不安からの逃避なので、一人だと陥りやすいわないに陥らないようにアドバイスを心がけています。
逆張りを考える
自分を探すのに、外に探すのか、うちに探すのかでの差を書いたけど、
自分を探すの反義語っていうのを考えてみた。
一番しっくりきたのは、どこにもいかない。自分であることを自分で受け入れる。かな。
現実を受け入れる、いまやらないといけないことを理解して受け入れる、そしてやる。
こっちの方が、内面で起こるさまざまな自分や自分の感情と、観察次第で出会えるし、
継続によって仕事がうまくなれば、また収入が増えれば、効率的にこなせることで時間ができれば、別の次元から物事を見られる可能性は実際あがる。
あー。やっぱり流行言葉(「自分を探す」)にはろくなことがないな。。。
映画で考える心理学
意外と読者受けがいいので、今日から別コーナーにすることにした。
調子にのって始めるのはいいけど、分量が増えただけなのではないか。。。
西洋映画の基本構造ってこうだ。
「ひ弱な主人公」
「突然日常に倒せない敵(や解決できない問題)の発生」
「旅に出る」
「苦難や困難を乗り越える力を身に着けていく」
「日常に帰って、倒せなかった敵(や解決できなかった問題)をやっつける」
「同じ日常に自身あふれる主人公の存在感」
これは西洋の神話の構造が元になっている
「非力な少年」
「姫が竜にさらわれる」
「旅に出る」
「困難を乗り越えていくことで、龍をやっつける力がついていく」
「竜のところへ行き、竜を倒す」
「姫と結婚する」
このあたりのイメージから、どうも外へ自分を探しに行くイメージができてしまったのではと思う。
この、竜に相当するものが自分の無意識だったとしたら、と私は考える。
無意識っていうこと聞かないし、むしろ人間社会を生きる上でいたずらするからね。
怖いと勝手に思って思考を止めたり、認められたくてルンルンになって現実みえなくなったり、やらないといけないことする気にさせなかったり。
これを乗り越えることが、竜をやっつける修行ではと思う。
あと、姫と結婚して西洋は終わりだが、河合隼雄が指摘するとおり、日本神話にはそういったものはほとんどなく、むしろ嫁が消えてしまう話の方が多い。そして、西洋の方が、40歳以降に訪れる、無意識の逆襲に耐えられない人が多い。ああ、1コーナーのつもりがこれだけで1ブログ分に。。。
この「竜を倒す」神話の典型的な構造をつかった代表作、スターウォーズとロードオブザリング
出だしの続き。。。
やっぱり、映画のコーナーは情報があふれてしまう。
これでも他に描きたいことがあったんだけどな。
別ブログを作ろうか?でもそれは仕事が増えて、自分の首を絞めるような。。。