やまーだでんき!の業績が悪化している。郊外店の店舗を何割か閉鎖するそうだ。もともと家電量販店の大型店化がすすんだ一番の理由はエコポイントとアナログ放送の終了にともなうテレビの置き換え、そしてスマホの普及だった。それが終わったのだから特需が消えた。日本にもうマーケットがないからという単純な理由で中国に出店するもこれは失敗してか撤退。いけいけ!の時ほど、自分の生存している前提条件って見えなくなるものだと思った。
目次
- イントロダクション
- 今日のテーマ
- それぞれについての解説
- 再度ポイントのまとめ
- カウンセリングの現場では・・・
- 逆説的考察
- 映画で考える心理学
- エンディング
今日のテーマ
- 集中、没頭、がむしゃらとは何か?今一度考えられます
- その三つの共通点や違いを今後意識できるようになります
集中力をつけるために、集中力について先にすこし知って置いた方がいいことがあります。
それぞれについての解説
- 集中
- 没頭
- がむしゃら
英語でいうconcentration
意識が一点に集まった状態。
集中するということは意識して行うこと。
「集中するぞ!」「集中!集中!」という声がけは、内面の
「やりなくないなあ~」
「これやってからにしようよ~」
「あ、こっちをやりた~い」
という本心に対して、強制的に切り替えようという意志の力だといえるが、本心は強力で頑固なので、強いメッセージが必要。だから
「集中するぞ!」「集中!集中!」
というときは、大きな声だったり、気合がはいっていたりする。
しかし、あくまで意識の力なので、5分程度しかつづかない。
とくに嫌いなこと、嫌なこと、意味や意義を感じないことであればなおさらです。
没頭の状態は、集中している状態と似ているが、自分が好きとか嫌いとかいう点に意識はなく、もっというと自分自身というものが消えてしまっている状態。ただ黙々と目の前にあることをこなしていたり、取り組んでいる状態だといえる。子供が遊んでいたり、赤ちゃんがオモチャで遊んでいる状態も集中うというより没頭している状態に近いと思う。没頭は時間の概念からも切り離されれ、気が付くと時間が相当経っていたりする。そして、没頭しているときはその結果さえも全く意識しない。恐怖の感覚もなく、淡々としかしリズミカルな自分がいるだけの状態になる。5分の集中作業のうちに没頭に切り替えられるか、切り替えられないかに、実はいわゆる一般的にいう「集中力」の秘密がある。これは別の機会にかきたいと思う。
一般的に考えても、自分の本心に聞いても「無謀」といわれるような課題に対して、覚悟を決め、すべてのエネルギーをその課題解決のために注いでいる状態をがむしゃらというのだろう。もちろん課題に取り組んでいる瞬間瞬間は「没頭」しているのだが、没頭がふっと終わり自身の存在が意識に帰ってきたときに、課題に対する進捗の小ささや少なさにフラストレーションを感じ、さらにそのエネルギーをもまた没頭していくために使っていく状態だといえる。
この違いを知って置くことで、本当の集中を知ることができる助け(補助線)になると思って以上まとめてみました。
再度ポイントのまとめ
- 集中とは
- 没頭とは
- がむしゃらとは
自身が意識上に存在。だらける本心に声をかけている状態。苦手意識や嫌悪感などがある。
自身が意識上に存在しない状態。好き嫌いなどの感覚もない。時間感覚もない。
決めた大きな目標に対して、没頭に没頭を重ね、それでも課題の解決が見えないと意識する状態。
カウンセリングの現場では
何回かお会いし、基本的な心理的問題が解決してくると、次に当然現実の問題を解決しなければならない。時には、自分のスキルを上げることや、資格をとることが課題に上がる人もいます。そのお手伝いの一つとして、集中するときのコツをアドバイスすることはあります。この時、場の力を借ります。とにかく自分の「意思」というものをまったく信用しないのがポイントです。
逆張りを考える
本当に「没頭すること」とは、「無意識が勝手にやる」ということでもある。
「無意識が勝手にやる」ためには、結局意思の力で、無意識を訓練することが最初に必要になってくる。
そのためには、細かい「集中」のインターバルと、「場」のなどの自分の意思のソトにある力の利用が必要となる。
実は、集中するということや没頭することだけに意味はなく、
それによって、どういうことが無意識的にできる作業としたいのか?その戦略をまず考えることの方が大切だったりする。
映画で考える心理学
かける少年
イラン映画。監督自身の実体験を描いた映画。親も親族も家もない状態の主人公がたくましく日々を生きる姿が描かれている。この映画では、彼が走る姿が頻繁に描かれているが、そこに没頭というものの真の姿が描かれている。没頭って楽しいもので、エネルギッシュなものだが、文字で書ききれないニュアンスをこの映画で感じてもらえると思う。これに「戦略」が加わると、夢がかなっていく人生があるのだと思う。逆にいうと、戦略なんかあっても「これ」がないと難しいのではないかなぁ。
ほぼストーリーはない。でも意義がある映画。
出だしの続き。。。
結局人間は見たいものしか見えない。なぜなら見るということは選択だからだ。そしてそれにも人間の物理的制約(たとえば馬は350度まで視界があるし、ハチは温度が見えるが人間には見るということはできない)が存在する。結局、我々はみたいもの見て編集してしまっている。だから意識的に見ないで、ただなんとなく世の中を見ると、ヤマダ電機じゃないけど、見たくなかった自己の存在条件がみえなくなってしまうのだろうな。