【映画で考える心理学】セント・オブ・ウーマン

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人の怒りと絶望(深い悲しみ)がもたらすもの、がわかる映画

フランクの中に潜むもの

アルパチーノ演じるフランクは退役軍人だが、視力を失ったことにより、かなり高いところまでいったその地位をすべて失い、ひっそりとした生活を余儀なくされています。そこには、何も見ることができない絶望があり、いままで培っていった自身をすべて失い、今後なにを糧に、何を目標にしていきればよいのか、といった喪失感があり、そしてその自分自身が存在する場所がどこにもない、視力も軍人としての地位も失ったがゆえに、自分の能力を求められる場所がどこにもないという、所属感の欠如があります。(自分のことを退官後も大佐って呼ばせてますし、自殺のシーンでは軍服を着ているのもそのあらわれでしょうね)そしてそれを、そういう状況になんで自分がなってしまったのか?というふつふつと湧く怒りの感情がコーティングしている状態です。

怒りと悲しみがもたらすもの

その結果、おそらくあふれるような怒りが他人にも無意識に向いてしまうのでしょう。偽善や、隠し事、怠けが許せないなど、その怒りを向けるため、自分の正義を振りかざすようになります。みなさんもイライラしているときほど、公共道徳基準に厳しくなったりしないですか?(逆に、楽しいとき、幸せな時、十分な休息をとっているときは、優しくなれませんか?)フランクはユーモアたっぷりに皮肉をいっているのでしょうが、おそらく、そうする要因は隠された怒りです。ランクの高い軍人だったことも影響しているのでしょう。感情を素直にだすことが特に許されない職種だからでしょう。感情、特に悲しみは見せることができず、強く押さえつけるほかなかったと推測されます。フランクは周りの人が嫌がるようなことをわざと言って、相手に絡みます。相手に嫌悪感がおこり、それをもてあそぶことを楽しんでいます。(そして、その楽しみのいうのは瞬時の話で、本質的には楽しくもなんともないことを感じています)こういった振る舞いの結果、一層フランクは孤独になってしまっています。やけになっていることもあり、冷静ではありません。ただ怒りと悲しみの感情が振り回すままに相手を攻撃してしまうのです。皮肉や攻撃は強さのアピールですが、それは心の弱さとバランスを取るための行為で、本人は内面的にはどんどんつかれていったのでしょう。ついには、自殺をしようとします。

怒りと悲しみの解放

作中、このフランクが、豪遊をして自殺をする旅の目の役割として、アルバイトを引き受けた少年、チャーリーに、この自殺を止められます。この時、フランクはこれまで隠していた(外に出すことができなかった)、自分の怒りと深い悲しみを初めて言葉にして、外に出します。子供に対して感情のコントロールが利かなくなるぐらい、感情の激しい衝動があったということでしょう。ま、チャーリーの自分の人生どうなってもいいぐらい、自暴自棄になっている部分もあったので、かえって本気でフランクにぶつかれたのでしょうね。そして、大声でチャーリーに怒りの感情をむき出しでどなる有名なシーンがあります。「I am in the dark!」。そして自分の置かれた状況の説明を自分の言葉で始めます。これも重要で、オートクライニングというものにあたります。初めて自分で自分の状態を説明して、実感したのです。ああ、俺は絶望的だと。


英語です。でも感情は伝わってくるかと。。。

感情を解放するということは2つの大きなメリットが心理学的にはあります。1つは、その感情を解消(というより気にならなくなるぐらい小さく)できるという点。2つ目は、この感情によって邪魔されていた「本来の自分」がメキメキと起き上ってくるという点です。なんども書いていますが、深い悲しみや怒りという感情は消えません。累積します。体のどこかにたまっています。そして、この感情が、「本来の自分」の登場を抑圧してしまいます。

フランクは、感情を外に解放し、自分の感情を声にだして誰かに伝えることにより、感情レベルで自分が本当に悲しんでいることを感じることができるようになった結果、はじめてチャーリーの言葉が届くようになります。それまでは怒りと深い悲しみと、軍人らしさというアイデンティティのもつ強がりから、彼の声は聞こえていたけど、届いてはいなかったと思います。ですが感情の解放とともに、本気で自分の自殺をとめようとしている、この目の前の若者に心を打たれ、自分は一人ではなく、存在を認める人間が存在することを認識できたのです。

解放とともに訪れるもの(本当に怒りと悲しみがもたらしてくれるもの)

感情の解放とともに、フランクはチャーリーの困難に気づき、そのために一肌脱ごうとします。感情の放出で、彼の中で、「ここに今生きていて、この状態でもいいのだ。」という感覚がメキメキ、いままでの怒りと深い悲しみにとってかわる存在として登場したのだと思います。実はここがポイントで、深い悲しみや怒りの存在をしっかりかまうことなく、なかったことにすると起こる無意識のするいたずら(フランクでいう、嫌味をいって相手の嫌悪感を喚起して楽しむ)ではなく、実は怒りと悲しみが本当にもたらすものは、それ自身が取り去られ、自分らしく生きることを妨害しているものを一掃してしまうエネルギーであるという点なんです。学校内裁判終了後のフランクのセリフや振る舞いからは、目の見えない退役軍人、もう昇進を狙えない軍人としての自分をしっかり受け入れて、前に進もうという覚悟と、そこから来る、余裕を感じ取ることができると思います。


私が一番最初に見たアルパチーノの映画。最初私は彼がこういう人(盲人)だと思っていた。それぐらい迫真の演技です。

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