【映画で考える心理学】フォレスト・ガンプ

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欲がなく淡々と起こる事実に真摯に対応する

この映画は、淡々と目の前のことに打ち込む主人公フォレストの人生が中央に据えられています。フォレスト自身は、お金にも名誉にも恵まれて行きますが、彼はそういった事実とは関係なく、それにうぬぼれることもなく、淡々と人生を生きる姿が、それとは対照的に描かれています。アメリカ現代史に大きくかかわり、代々の大統領とも面会する機会があるのですが、そんなのに関心は全くありません。また、フォレストの周辺を取り囲む、ジェニーやダン大尉のような人たちが、自分自身の欲に人生を振り回されることが、フォレストの生き方とは対称的に描かれて、コントラストをこれも強くしています。ただ、フォレストにとっては、ジェニーが近くにいないことだけが気がかり。ジェニーの身勝手さにもかかわらず、自分の立ち位置を変えようとしないフォレスト。これにもフォレストの純朴さと力強さがコントラストとして映えます。そこまで、演出されたフォレストの純粋と、彼の淡々と生きる姿ゆえに、見る人に感動を与えるのでしょう。欲がなく淡々と起こる事実に真摯に対応する人生の美しさが描かれた映画です。

フォレストはなぜ「知恵おくれ」として描かれているのか?

フォレストは、感情を普通の人のようにストレートに表現することや、論理的に話すことも苦手としているようで、知恵おくれ的に描写されています。一般人による純粋な生き方より、ハンディを背負った人の生き方のほうがごちゃごちゃ功利的に考える姑息な生き方よりも、優先順位の高いこと1つだけに絞って馬鹿みたいに純粋にそれを追い求めることの素晴らしさがかえって伝わってくると思います。実際にごちゃごちゃ考えたり、欲望に振り回されることで、多くの人は人生の遠回りどころか、ゴールへたどり着けない道を選んでいることが我々は多いですからね。フォレストが普通の人であったらなら、もっとジェニーが逃げた原因を考えるでしょうし、追跡もするでしょうし、もっともてるために見栄もはらないと、人間らしさが伝わってきません。ですが、それが出てしまうと、フォレストの純粋さが失われてしまいます。

淡々とジェニーを追っかけるのは「愛」がゆえか?

映画全編を通じて一貫して書かれていること。それはフォレストのジェニーに対する態度です。ずっと一緒にいたくて、ずっと待ち続け、ずっと追いかけ続けるシーンが続きます。それに対してジェーンは感動しつつも、フォレストとは距離をいつも取ろうとします。それゆえに、フォレストの純愛が強調されるわけですが、フォレストの純愛はホントに純愛なのでしょうか?フォレストは常に、母から肯定されて生きてきました。下半身がうまく動かなくても、知恵おくれでも、それをどうのこうのいわず、彼の自信を築き上げています。それであなたはOK! フォレストはフォレストであることを許され、それに対して自信を持つように育てられています。そう考えると、母親の愛情不足による反動とは考えにくいです。話の設定から考えると、フォレストは知恵遅れがゆえに純粋であり、シンプルな指針で複雑なことを考えずに正しことができる人です。ジェニーはフォレストにとって、本当に存在意義を満たされず迷いに迷っている女性と見えたのでしょう。母親と同じことをフォレストもジェニーにしたかったのではないでしょうか?

ジェニーはどうしたかったのか?

貧乏の家に育ち、親がアルコール中毒。廃墟となった自分の家に向かって石を怒りで投げつける姿から、両親にたいしての恨みを持った女性であることがわかる。政治運動に心酔し、そのリーダーとの恋人になるなど、功名心もプライドも高いのは、そういった生育環境での自己嫌悪感を払拭するためだろう。そうなると、自己の存在を肯定的に受け止め、いるだけでいい、いまのジェーンがいい、なんにも変わる必要もいらない、それだけであなたは素敵だというフォレストの態度は、自己尊重感を喪失した際にジェーンにとっては必要だったのだろう。だから人生がうまくいかない節目において、フォレストをジェーンは求める。ではなぜまたすぐいなくなってしまうのか?それは、自己の存在感が満たされることと、好きになるというのは異なることで、単純に好きでなかったのではないかと思う。好きでなかったから、彼の無償の愛(存在をどこまでも肯定して受容してくれる態度)に対して、返報性の義務感に耐えられなかったのだと思います。(好きならこういうことを感じない)。好きでない人と一緒にいることは、相手を利用することになると思い、去って行ったのではないでしょうかね。性交渉をその後持ったのは、返報性の義務感(このセックスしている間は愛があったのかも)で、避妊しなかったのは、ジェニー自身が自虐的な人生を送っているから(途中で自殺しようとしたりしていますし)で、どうにでもなれという気持ちがあったから。結婚したのは、子供の幸せを考えて。映画を通して、フォレストに対する尊敬の念や彼の優しさに感動する彼女は存在しますが、彼に対しての愛は瞬時ではあっても、冷静な彼女にそれは一貫してなかったのだと思います。最後に再会しても「フォレスト、私は死ぬの」といいます。「勝手に一方的にあなたを頼る(使う)私を許して」「私のお願いを断らないで」「私を助けて」と聞こえますが、愛ゆえになら苦しまずに言えたでしょう。ジェニーの思いが一貫しているがゆえに、フォレストの純愛が一層引き立ちますね。


この映画好きな人多いですね。。。


ジェニーとフォレストのもつ自分への自信と母親との関係は、ボルビーがわかりやすいと思います。


ウィニコットもおすすめです。

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