【映画で考える心理学】マルコヴィッチの穴

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あるビルの7と1/2階にある不思議な穴、それは誰でも15分間、俳優ジョン・マルコヴィッチになれる穴だった…。
というキャッチコピーの作品。2つの点に注目してみると面白いかも。

1. 人生に意味なんかない。

この映画では、次々と意味不明なものが登場します。
なぜ、オフィスが7と1/2階にあるのか?しかも高さが低くてみな中腰の階なのか?
なぜ、オフィスにマルコビッチの頭の中に続くドアが存在するのか?
マルコヴィッチの頭の中に入れるのが15分間だけなのはなぜか?
なぜ、マルコヴィッチがそもそも乗っ取られる対象となったのか?
マルコヴィッチがマルコヴィッチの頭の中に入った時、なぜ登場自分はマルコヴィッチばかりで、しかもみなマルコビッチとしか言わない世界で、他の人が入った時とはシチュエーションがことなるのか?
人を乗っ取ることで永遠を生き続ける人たちって何者?
そもそも、この会社は一体何をやっている会社?
・・・
いろんなわけのわからないことが次々と視聴者に投げかけられますが、その回答をこの映画は与えてくれません。そういうものかとそのままスルーするのもその人の人生。なぜかといってあれこれ考え、理由をつけたり、仮説を立てたり、意味を発見するのも人生。でもそれは後付であり、あなたの主体的なものでしょう。そもそもの意味なんてないんだ、だけど勝手に点と点を結んでしまおうとするのが人間だ、ということを思い知らされます。

2. 無意識ってこんな理不尽なもの

オフィスのドア経由で入ってくる人たちがすべて、マルコヴィッチの無意識の中にいる人格と捉えてみるのも面白いと思います。本人のよくわからないところで、自分を大きく支配しているのが無意識ですから、マルコヴィッチ自身が本人の意志や希望とは全く関係のない利害(グレッグ、ロッテ、マキシム、上司たちの自分勝手な都合)により振る舞わされる様は、まさに意識がその要求や理想通りに振る舞ったりしてくれない歯がゆさや、意識そのものが無意識の前には、全然重要でもない単なる脇役であるということを映像化できています。人形遣い自体も、とらえ方によっては人形の行動を突き動かすのに、人形自体がその存在を知りえないという人ですから、主人公のグレッグの本職が人形遣いで、マルコヴィッチを乗っ取って人形遣いの夢を実現するというのは、なんとも皮肉ですよね。


スパイク・リー監督の処女作。パッケージが良くないんじゃないかな?人間を小ばかにしているのが面白い。

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