【映画で考える心理学】天空の城ラピュタ

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※これは著者独自の見解であり、映画製作関連者の公式見解とはまったく関係がありません。

この映画は、言わずと知れた宮崎駿のコアをなす作品で、それだけ見ているほうにもこだわりがあると思います。別にそれについてとやかく言うつもりはまったくなく、心理学で私独自の視点からこの映画を解釈してみようと思います。この映画は、千と千尋の神隠し以上にいろんな見方があると思っています。その新しい見方の手助けとなる補助線を提供するのがこのコンテンツの目的です。パズーの成長物語であり、ムスカやドーラやロボットの意味なども興味がありますが、今回は作中のシータがどんな無意識のシンボルとして描かれているか?について書いてみました。このコンテンツを読む前に元型について事前に目を通していただくと、より一層理解が深まります。

シータはアニマ?

アニマとは、フロイトの提唱する、男性の中に存在する女性性で、やさしさ、従順性、包容力、あいまいさなどを持っています。シータは一般的男性の中にあるアニマを代表するものとして描かれています。

シータはグレートマザー(賢母)?

シータは偉大なる母、グレートマザーとして描かれている部分があります。アニマと同じく女性性をもつキャラクター(元型)ですが、より母性に近く、もっと大きな力と落ち着きと知恵をもっている象徴といえます。ドーラにもそんな要素を感じますが、シータにもあります。作中の「ママのようになるの?」いうセリフもまんざら外れていないと思います。海賊仲間を取り込んでしまいますし、ラピュタの動物やロボットまでもが彼女に惹かれるのも、グレートマザーのもつ、相手をそのまま受容できる偉大な包容力や暖かさからでしょう。シータの場合、最後のムスカとの対立時には、正しさを通そうとする力強いグレートマザー像が特に描かれています。自らが相手を取り込んで殺してしまう力をも持ち合わせているのが女性(グレートマザー)です。ラピュタは最後、呪文により破壊されるのですが、描写を見ると、いわゆる爆発により四方に飛び散るような破壊ではなく、自らのみが崩れていく内部崩壊であり、消化に近いような終わり方をするのも、母を象徴しているのかもしれません。自然を愛するというのもグレートマザーそのものといえます。

シータはトリックスター?

トリックスターは現状打破のためのエネルギーで、皆がしてほしくないことを皆ができない愉快な方法でやり遂げ、周りをかき乱す存在。結果として行き詰まった現状や秩序を破壊し、問題を解決してしまうパワーと知恵と行動力を持つ。ユングはトリックスターと名付けた存在で、西洋ではピエロとして描かれることが多く、日本神話や昔話でいう、スサノオやきっちょむさんもトリックスターに分類されます。シータにそんなひょうきんさも、空気の読めない感じも描かれてはいませんが、炭鉱で毎日クレーン運転者として働く親のいないパズーにとって、日常生活は単調なもので、しかもそれはどうやっても購うことができない現状であったと思います。この日常が一人の女性が空から自分の元に振ってくるという場面からすでにパズーにとっては常識破りです。海賊や軍隊が追っかけてきますし、家や住んでる街は荒らされますし、仕事も無断欠勤です。欠勤=収入がない日ですから、みなしごにとってそのダメージは大きいはずです。通常に考えるとパズーの生活は誰にも歓迎されない方法でかき乱されたわけです。ですが、空は飛べますし、彼の力で到達することは到底無理な世界に、彼女の力で簡単に行けてしまうわけですから、その現状打破の力は途方もないもので、まさにトリックスターといえます。

シータは月夜見(ツクヨミ)?

月夜見をご存じでしょうか?月夜見は日本神話に登場する3柱(日本神話では神様は柱で数えます)の1柱で、イザナギの左目から誕生した神様です。ちなみに右目はアマテラスオオミカミ、鼻からこの時スサノオが誕生しました。月夜見は男性で月の神様なのですが、姉のアマテラスオオミカミ(太陽神で女性)、弟のスサノオノミコト(海神で男性。海を放棄して出雲に行く)と異なり、この後古事記には誕生のみで登場してきません。つまりただ存在するだけ、見えることもありません。ですが、様々な神の真ん中に存在し、それぞれの神様がバランスを取れるようにうまく仕切っているといわれています。河合隼雄は日本神話や日本人の無意識そのものを「中空構造」と表現しました。これは西洋のように物事に中心があるわけではなく、また中心に意思や意図があるわけでもないが、新しいものはとりあえず受け入れて、全体のバランスの中で必要であれば存在し、そうでなければ消滅する、いずれにせよ全体性の中でそれは適切な位置と適当な大きさになり、他の神様たちもその影響を受け、同様に適切な位置と適当な大きさになるという考えです。つまり真ん中がドーナッツやボールのように空洞というわけです。この空洞がツキヨミです。シータもツキヨミと同様、存在はするし、真ん中にいるけれども、彼女自身の意思というものはなく、どちらかというと新しものを次々と引き寄せ、彼女を取り巻く人たちとの間での調整をしている人物として作中描かれています。


言わずと知れた名作。


ツクヨミや中空構造に関してはコチラ

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