【映画で考える心理学】カポーティ

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※見たことが前提ですので、ネタがばれてます。
※いつもどおり、筆者の考える見方の提案で、映画制作関係者の見解ではありません。勝手にやっていることです。

我々は本当になにがやりたいか?をわかっているのか?

この話はオードリーヘップバーンのファンであればおなじみの映画「ティファニーで朝食を」の原作者である、トルーマン・カポーティが、その後書いた小説「冷血」の執筆に関する実話を映画化したものです。※「冷血」も映画化していますが、この映画はその舞台裏を描いたものです。

大まかなストーリーは以下になります。

最初は作家として、田舎町で発生した猟奇的殺人事件に興味を持つ

捕まった犯人と面会するうちにドキュメンタリー小説の商業的成功を確信し、さらにそれにのめり込む

のめり込んでいくにつれ、犯人犯のスミスに対してその生い立ちやキャラクターに同情が湧いてくる

結局は本の出版を優先させる

その罪悪感などの感情からか、彼はアルコールにおぼれ、作品を書かなくなってしまう。

カポーティはゲイでしたがきちんとした彼氏が当時存在していました。恋人としての感覚があったようではないですが、殺人者であるスミスの生い立ちやその正確な話しぶりに心を惹かれていきます。

カポーティの執筆している「冷血」は、スミス自身が実際に殺人を犯した時の様子や、彼が処刑されるまでを記述したうえで完成する設計図となっているので、彼がもったいぶって、殺人の様子をいつまでもカポーティに語らないことや、死刑そのものが執行されないことは彼の出版を妨害していることになります。ですが、そうであるにもかかわらず、カポーティは彼の刑期が軽くなることをのそみ、その働きかけをしたり、死刑執行がされないことを望み始めます。途中までの執筆を公表してプロモーションも進める反面、作品が完成しないことをどこかで期待し始めます。本が優先なのか、殺人者の生存が優先なのか混乱してしまったわけです。

結局、スミスは死刑が執行されます。その様子を実際に目撃し、相当な心理的ショックを受けたカポーティでしたが、本は書きあがり、出版されます。彼の本は出版界で注目される偉作となりました。

ですが、こののち、カポーティは酒におぼれ、長編小説を一切書かなくなり、1984年に肝臓がんで亡くなっています。

この映画は、殺人者の心の闇は、正常な人であっても移転しやすく、またそれが転移した人の身を滅ぼしかねないものであることをうたっていますが、ここでは、その見方はわきに置いて、考えてほしいことがあります。それは、なにをしたいのかわからない状態というのは、このカポーティの混乱した状態を指すのではないでしょうか?ということです。あなたは本当になにがやりいのか?明確ですか?カポーティのように混乱した日々をおくっていませんか?


ダンディもこなすシーモアが演じるゲイのカポーティも映画ファンにとっては見もの。


この時に本当に執筆された本


ティファニーで朝食をもカポーティが執筆

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