ちはやふる。
好きでしょうがないこと(百人一首)をやる天才2人、千早と新、そして彼らが好きで、好きでない百人一首に打ち込む太一。かれら天才の勝負と人生を描いたアニメ。好きだということは理屈ではない。それがよくかけている。それでモテるから、大学に行けるから、稼げるからというのはまったくない。それでは手段になってしまう。手段は好きなことそのものではない。千早は新は、「むしろ百人一首が真剣にできるから」、という基準で人生を選択していく。百人一首をやるために学校の部活の顧問になる。そのために古典の先生になりたいと。それとは対称的に太一は、好きな人である千早に自分を好きになってもらうために、彼女の打ち込む百人一首を続ける。手段になってしまったゆえの苦しみと、その苦しみから生まれてくる本当の彼の感情が細かく描かれている。手段も楽しめば、打ち込むうちに目的になるのだが、目の前に本物がいると、かえって自分の偽物度がはっきりしてしまう、そういった苦悩も絵が描かれていると思います。
結局、人間行き着きたいところは、
理由もなく好き。だってそれが目的だから
誰が何と言おうと好き
誰が何と言おうと、これだけは譲れない
そのためなら手段を択ばない
ところであり、千早や新の生き方はまさにそれ。
でもこのアニメが秀悦なのは、恐らくそうではない我々一般人として対照的に書かれる太一だろう。
理由があって好き(になろうとしている)。だって手段であって目的でないから
誰が何というと気持ちが揺らぐ
条件によっては譲る
手段によっては躊躇する
自分探しの参考になるのではないでしょうか?
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